2016年12月22日木曜日

ブラックアイスバーン

今年も あと少しです。
無事に年が越せることに感謝しつつ

来年に備え
様々なことを考えている今日この頃?かな
今は平穏ですが
「治にいて乱を忘れず」
という言葉を胸の隅々まで刻み込んでいます。

今年は
「ならぬ堪忍するが堪忍」

仕事上
我慢できないことを我慢する これが 本当の忍耐である
を  心に決め過ごした年でもありました。
本当に
 家族を始め 周囲に恵まれた一年だったと思います。


さて
冬らしくなり 初めてバイクで近場の山岳地帯を
走ったのですが
この季節 気を付けたいことは
路面凍結です。

ブラックアイスバーンはタチの悪い路面凍結

時は12月18日
 とっても冷え込んだ早朝
見上げれば抜けるような空が白みだし
山岳地帯に目をやれば 雲ひとつ掛かっておらず
しっかりと峰々が連なるシルエット。
早速準備をして 12Rで向かいます…

太陽が昇り 日差しが峰々を照らし
とても綺麗です。
いつもと違うのは 気温が一向に上がらないこと
山のふもとでも 一面 霜に覆われていることでした。

路面は ほぼ ドライなのですが
日陰の部分は 濡れているというほどでなく 
湿っている程度です…。
雨や雪が降った訳でもないのに 
定番コースの 三瀬旧道に入る手前で
黒く湿っている路面に妙な違和感を感じ

ふもとでバイクを止め 
気温が上がるまで待ってみようと 下車していたところ
一台のバイクが 下り車線からこっちに近づいてきました。
バイクは ハーレーのスポスタ1200(XL1200S)
そのライダーはバイクから下車し 開口一番
「転んだぁー!」 …でした。

話を聞けば
三瀬旧道 入って間もないヘアピンでのハプニングらしく
フロントもリアも同時に滑って転倒 
その後
足元が凍結で滑り バイクを起こせず
通りすがりの4輪ドライバーに手伝ってもらい
Uターン退避してきたそうです…。
4輪が突っ込んだタイヤ痕がけっこうあったそうです。
原因は目視が困難な
ブラックアイスバーンです

目視可能な 降雪時の場合 
圧雪エリアより
新雪エリア もしくは
気温が上がって溶けかけたシャーペットエリア
のラインを選択することができます。

しかし
この場合 空は真っ青 お陽様は登り
前日に 雨が降った訳でも無く 雪が降った訳でもない
単なる 放射冷却という自然現象です。

なのに 路面は凍結防止剤と混ざり湿ったように黒くなっており
目視での判断が難しく
とても タチの悪い路面凍結です。


その日の三瀬 佐賀側 雪じゃなくて霜です。


日が差した箇所から 霜が気化し水蒸気が立ち込めていました。


グリップヒーター等の防寒対策は万全
(下はインナーの上に皮パン ライダーブーツ 
上はジャケットとインナーの間に一枚入れ計3枚) 
私の冬の装備です。
(少々気温が低くても寒いと思うことは少なく
手がかじかむ経験も最近はありません)

天気が良く 路面ドライであっても
冬場のライディングは気温注視が必要です。
下りのブラインドコーナーを抜けたら ブラックアイスバーン
なーんてことを考えると ゾッとします。


これはブラックアイスバーンではありません。
バイクを立てて立てて でなんとか行けます…。




ZX12R 積算走行距離 92065km

足回り エンジン共
調子はとても良いです。








2016年11月29日火曜日

秋短し…


秋短し 走れバイク乗りよ…
という訳にもいかず

何かと忙しい毎日を過ごすうち
秋も終わり 初冬へと季節は移り
本格的な冬は もう 間近です…

ここのところ 私的なことですが、
久しぶりに
ひたすら電卓を叩き  様々な数字に目を通し
僅かながらの身辺資産の体制見直しをしていました。
(きっかけは 今年入った税務調査なんですけどね)

そこそこのお金を動かし
何か事を興すには
普段 使わない頭の回転計を
かなり 回さないといけません
誰にでもあると思います

様々な専門家の知恵を借り
周到な 税務を含めた将来の見通しを含め
現存する問題点の解決策と
目的達成のために
考え得ることが出来るシュミレーションを行い
これらを 全て具体的な数字を変えることは
とても 大事な作業です…。


「ハ、 と気付いたら もう こんな季節…」
秋が終わりかけていました。


こんな時は
軽く その辺を バイクで走る





生きて行く上で
嫌なことや 難しい問題を先送りにし
自らを窮地に立たせてしまう状況は誰にでもあることでしょう…
しかし このことは
誰の責任でもなく
どんな理由があろうとも自らの選択であるということは
間違いありません…

物事がうまく運んだとしても それは決して自分の力ではなく
沢山の人たちの手助けがあったと思う謙虚さを忘れず
今年も冬を迎えたいと思います。



やっぱり 12Rで 山岳路を走るの 大好きです

何故だろう
このまま 12Rで走れるだけ
走っても構わない…
と思う今日この頃です。

ZX12R 積算走行距離 91872km

タイヤ交換 90750km にて
タイヤ銘柄 ミシュラン パイロットパワー2ct










2016年9月14日水曜日

各バイクメーカーの流儀 現存する最古のバイクメーカー 

あっという間に夏が過ぎ去り これから葉っぱの色が
変わってきます…
バイクの季節でもあります…が、
次期車輛を考える時期が
迫って来ている予感がします。
たくさんの思い出が詰まった12Rは たまに乗る位で…

そろそろ、10年は乗り続けられる相棒を
時間を掛けて検討しますかね
今なら どんなバイクに乗っても楽しいと思えます…

その中で選択するなら 
思想を大切にし
それにしか無い世界観を感じるものが良いです…

世界には沢山のバイクメーカーがあります
そして メーカーは自らの製品の世界観を大事にし
流儀を重んじています。

代表的なメーカー例を挙げると

ハーレーダビッドソン…

世の流れに我関せずで 空冷Vツインと
クラシカルなスタイルを通し続けた気概を感じます
 倒産や身売りという経緯を乗り越え
今や世界中で愛されているメーカーです。

倒産から身売りという状況の中 品質がとても落ち
そのような 危機時期も ハーレーというバイクを支えてきた 
ユーザーたちは どちらかと言うと 
反社会的なアメリカの暴走族であり
(国際的ギャング ヘルズ エンジェルス 等
ヘルズ エンジェルスの名称は 世界大戦時の爆撃機の名称
当初は この搭乗員たちで構成されていた。)
または
反体制的な アメリカのヒッピーたちでした…。

アメリカ = 自由 = ハーレーダビッドソン
アメリカ人の魂 とも言えるバイクなのかも知れません…。

小賢しい考えや 世の流れにとわられず ひたすら
方針を変えずハーレー流儀を通しつづけ
走行性能という枠とは別次元に位置するバイクです。
修羅場を潜り 生き残ったバイクだけが醸し出す
オーラーや存在感の右に出るものは無いかも知れません
(これしか作れないからこれを作る…だから変えない
これが 俺たちの流儀だぜ…と言わんばかりの思想
それが功を奏したのかもしれません…)

BMW……

フラットツインという伝統を守りつつ進化進行中です…
世界の様々な公道を知り尽くし 人間工学を取り入れた
ものづくりは 素晴らしいものがあります
遠くまで疲れず安全に安心感の中速く走る 
ひたすら目指したその流儀は
完全に世界から認められました。
(ここは後発の日本H社を意識した時期もありましたが
違うコンセプト 公道における実用性
に充実を図った感があります。
結果的にアベレージ速度が高い強者ライダーが多いですね)

MVアグスタ…

H社がCB750K0を公道用として市販するずっと以前に
すでに並列直4を作り
WGP(今のモトGP)では20年間タイトルホルダーでした。
かっての 並列マルチ レース界の名門であると同時に
その、ハンドメイドな贅を尽くした趣きこそ このメーカーの流儀です。
レース界に再び花を咲かせることが出来るのか
(デザインは一流ですね…性能は乗った事が無いので分かりませんが
好きです。)

ドゥカティ…

直角(90度V型L)ツイン デザイン最優先スタンス…。
デザインを損なうぐらいなら 少々なら性能面は目をつぶる
そんな開発者たちの声が聞こえてきそうです…
といっても すでに 市販車であるL型ツインは50年近く
未だ引き継ぎ スーパーバイク選手権で活躍しています…
独自のベベルギアを独自のコグベルトに変更したりはするものの
ドゥカティー独自のバルブ開閉機構 デスモドロミックなどは
未だ採用しています… 独自という流儀を大切にしていますね…
(ここは 個人的に格好良いと思っています
 日本人の感性でこのデザインは難しい。
それだけに日本人の琴線に触れますね…
日本のH社とS社に はりぼてのような模倣品がありますが
せめて 造形は変えて欲しいところです)

モトグッティー

まだまだ日本が独自で大排気量バイクを作れない頃
ここは その昔レース界では名の知れたメーカーだったんですが
今は縦置きVツインがこのメーカーの流儀のようで、
 このエンジン以外製造する気は無さそうです。
ひと目観て あ、グッチだ…と分かる 独特な個性は
それで良いと思います グッチはグッチ以外の何者でもないのです…
(悪くは無いし、ファンは居るようですね。ただ、乗った事ないので
良く分からないです。昔日本のH社が水冷で縦置きVを世に出しましたが
格好は良くありませんでした。)

KTM

私の感覚では ここはエンデューロ(オフ車)の伝統メーカーの
イメージが強いかなぁ…特に2ストは。
機関部分の信頼性は クエスチョンですが…
万全なメンテを怠らなければ…ほぼコンペティション並みの性能。
(昔の2スト エンデューロ競技用しか知りませんが、コンペマシンに 
そのまんま保安部品を装備した感がありました。当時乗せてもらった
時 日本の国内公道仕様すべてのオフ車がチャチに感じました。)

日本メーカー…HYSK

世界も日本もバイクを作っていたのは
家内工業的な小規模な工場が始まりです
日本も同様に
戦争直後は山ほどバイクを作っている工場があり
庶民の足として沢山普及され、その後生き残ったメーカーが
今の4大メーカーです。

スーパーカブの流儀… 小排気量で高いクォリティーならお任せあれ
こんなエンジンや造形は他にありません…
1958年に生まれ 不動の流儀で今だ生産されている
 超超…ロングセラー

あと、V4エンジンなんかも 日本のH社が初めて二輪専用として
製造しました…VFシリーズ
その後Y社も手掛けてますね…VMAX

日本4大メーカー全般
H社には 直立4ストシングル50ccなどありましたし
4スト250cc直4(SHKY 4メーカー)
などを公道用として世に送り出しています。
勿論 大排気量でもジャパンクォリティーは高く
バイクに電子制御燃料噴射装置(インジェクション)を
採用したのも日本のH社であり
電子制御点火装置(CDI)を
バイクにはじめて採用したのはK社ですね
故障知らずで メンテも最小限で済むよう 
万人受けのコストパフォーマンスと
高性能エンジンの両立は群を抜いています
世界モトGPなど レース最高峰で活躍しているのは
日本のメーカーなのですが 
エンジン性能の高さは周知の通りです。 
スポーツバイクにおける公道仕様車は
このようなレースで実証された最新鋭の技術がフィードバックされ
その技術が万人にでもコントロール出来るよう改良され
良いものが出来るという中に位置します…。
欧州などでは このモトGPの成績が販売台数に影響し
商業至上の日本メーカーはレース最高峰での参戦が不可欠であり
性能で勝負するしかない一面もあります…。
伝統という点では 外国車の模倣から始まった日本製バイクです。
ある意味ユーザーに媚を売る 商業至上のバイクメーカーにとって
時代の流れで伝統が薄れて行くのは至極当然のお話であり
モア パワー モア スビードを目指すことは
仕方の無かったことなのかも知れません。
また… そのようなエンジンを開発することで
伴った空力や車体剛性などを含め
より良い新たな発想に繋がり
これが、日本製バイクの流儀なのかも知れません…
伝統で外国勢に適わないのであれば
凝り固まったバイクの定義に執着することなく
頑張れ 日本メーカー

さて

現存する最古のバイクメーカーは 
様々な組織への傘下入り 倒産 解体の経緯はあるものの
周知の通りトライアンフですね
トリプルシリーズでストファイという言葉のルーツとなるメーカーですが
やはり
 ここの伝統は直立2気筒(バーチカルツイン)
水冷化 FI化は時代の流れで仕方無いとしても
伝統的なボンネビルの造形を 今もなお 引き継いでいます。
インドで組み立てられているようですが、そんなことは構いません
ノックダウン生産を 避けては通れない時代です…









以前なら スラクストンを選択していたと思いますが
今は どっちか選べと言われたら
ボンネビルシリーズを選ぶと思います…。
T120
スラクストン
ストリートツイン
この三種が日本で販売されています。


もう15年近く前の画像です(雷山林道)
CB1300時代 良くご一緒していた
ボンネビルのT100(865cc空冷)です。
借りて走らせて頂いたことがありました。
このスタイルとは予想外に 
振動は皆無に近く 高回転までストレス無く回り
それでいて パルス感(振動ではなく路面を蹴る力…)を伴い
そのトルク感は印象深いものがありました。
「けっこう走るじゃん」という印象は今も残っています。
強いて言わせてもらうと 
…華(はな)が無い… 当時はそう思っていました。

ま、考えてみると
日本独自の大排気量高性能車の原点は
英国車の模倣から始まったんですよね…。
でも
技術革新という点では 世界のバイクメーカーに
刺激を与え続けてきたのは 
日本製バイクだと思います…。



2016年8月30日火曜日

夏の終わり…タイヤも終わり


夏が終わろうとしています…
同時にタイヤも そろそろ終わりです。



ここ最近 ソロで 冬 春は 高速少々 海沿いが主
 夏の間は山岳路主体で走ってきました。

フロント(若干の片減りですが許容範囲)

リア(良く考えられたタイヤです さすがBS 前後タイヤがバランス良く
減るようにつくってありますね ミシュだとこうはいかない。)

タイヤ銘柄 BS バトラックスS20エボ

前後交換して この段階で6500km 流すように走ってきました…
 まだグリップ感はあります。

歳食ったとはいえ
まだまだ、リッターオーバーでもノンプロブレム

でも
舗装路脇の未舗装細路が気になってしょうがない今日この頃です…

ZX12R積算走行距離

90542km

次回のタイヤ交換が このバイクにとって最後になるかも知れません…










2016年8月15日月曜日

終戦記念日

 終戦記念日ですね…
戦争を知らず 飽食の時代を過ごしてきた私にとって
戦争のことなど語る資格など無いと思う…
でも
何故、戦争が起きるのか
戦争を避けることは出来なかったのだろうか…
そんなことを良く考える
だから
歴史を遡り 起きたことを一つ一つ時系列に並べ 
先人たちの言葉を拾い 当時を想像してしまう…

また
この日は 先祖への想いを馳せる送り火でもあり
ご先祖様へ感謝の意を含め 様々な想いを巡らせたい…。

TVでは リベラル派の人たちが あの戦争は とか 平和への道は etc…

ネットでは 保守派に人たちが 歴史の一部分を拾い 
当時の日本が戦争へ向かう大義の証明で一生懸命だ…

保守 と リベラル の論戦も 悪いとは思わないし
平和国日本だからこそ出来ることだが、
これでは 昭和的発想から変わりは無く寂しい…

そろそろ
感情を捨て 客観的に 歴史考察をしても良い時代ではないだろうか

TVなんかで 平和や安保法制に対しての討議になると 
イデオロギーの戦いに陥りがちだが、何か足りない。
表面的な歴史認識しか考察していないのかも知れない。

その前に 今一度 粛々と史実に基づいた出来事を
拾い 並べ そこで WHY ?  で 
さらに そのプロセスを知ることは大切だ…。

当時
日本だけでなく ロシア アメリカ 欧州などの列強国が
中心となり世界は動いていた
それぞれの国に思惑や事情があったのは当然であり 
利害の不一致により衝突が起きる
そして
莫大な損害を被り 多くの人命が散り 日本は敗戦した…
国益至上という政府のシステムは今も変わらないとしても
今の感覚で当時の戦争を理解することは難しいと思う。

戦争を否定したとしても
今の平和な日本の存在は 
戦争で亡くなられた 多くの先人たちが礎となっており
耐え難きを耐え 忍び難きを忍び…
この言葉にこそ 日本の存在意義があり 
今の日本を形成した源だったのでは…と思う

戦争で亡くなられた多くの方々へ 黙祷を捧げます…。


最近 お盆の時期だというのに 猛暑が続いております。
お墓参りに 私だけ家族とは別路でバイクで向かったのですが
早朝にも関わらず 暑いこと…
とてもじゃありませんが、日中はバイクに乗る気がしません…。
まさに 灼熱の日々です。
避難

帰路も
耐えられないので
ファミレスに立寄り かき氷など頂きながら日暮れを待ちます…
朝も夕も暑い今日この頃…。


ZX12R
積算走行距離  90076km





















2016年8月9日火曜日

疲れたと思ったら 軽くバイクで走ろう…。

お墓掃除も終わり
お盆を迎える準備はだいたい終了した今日この頃です。

疲れたなぁー 
休日クーラーの効いた部屋にこもり じぃーっとしていても
逆にだらけてしまう…。

そんな時間のある時は
かるーく バイクで走ります。

早朝のお陽様を眺めに行くのも良し…

ワインディングを楽しむのも良し…

人知れずたたずむ神祭の前で一服するのも良し…

古い様式の建造物の前で立ち止まるのも良し…

バイクで走ると 意外に疲れは取れますよ


ZX12R
積算走行距離…89837KM

タイヤ状態
BS バトラックスS20エボ 
交換して6000KM…タイヤ結構頑張っています。
良いタイヤみたいです…
フロントは
若干ガサガサになり、エッジ側の溝が消えかかってきました。
リアもスリップサインが見えてきました.。
完全均等とまではいきませんが エッジまで綺麗に使えてます。
グリップ感はまだあります…。

この調子だと 多分 フロントが先に逝きそうですね…。






2016年7月31日日曜日

初の女性都知事…と 早朝 と バイク

私は都民ではないのですが、
都知事選は女性候補の圧勝のようでした。
ある候補者は 演説のつたなさや女性スキャンダルで…
ある候補者は 現政権の党利党略の駒として…
21人もの候補者での選挙でした。
当確した女性候補者は 既成政党に挑む改革派のようなイメージでしたが
実際は…どうなのでしょうか…
推測ですが この新都知事は かなりの保守思想じゃないかなぁー なんて
勝手に推測しています(間違ってたらご免なさい)

まるで 山岳地帯の天候のようにころころと首長さんが
入れ替わり莫大な選挙費用が掛かるそうです。
ライダーが都民とすれば 莫大な対価を投じての
バイクの乗り換えみたいなものなのでしょうか…
バイクが変わったからと言って 
選択する道路はたまに脇道に行くぐらいで
そんなに変わらないと思うんですけどね…

でも、この都知事選 とても大事な意義を感じました。

今回の投票率…59.73%
前回の投票率…46.14%
よって
現政権推薦(自公民)候補は 負けました…
原因は無党派層の抵抗です。
無党派層の力はやはり大きいですね…
組織票の好き放題に対して
「ええ加減にせぇーよぉー」が都民の声だったのでしょう。
当選者の是非はともかく
投票に行くことは とても大事なことです…。


夏真っ盛りの今日この頃…
時間があれば バイクを楽しんでいます
といっても 灼熱の日中を走るほど若くありませんので
朝の間の涼しい時間帯 
ひんやりした気持ち良い大気の中
近場の山岳地帯を走っています…


山間の早朝は 大概 霧が掛かっています。
平地(下)からみると 雲なのでしょう…。


風一つ無い早朝に日が昇る頃 ダムの湖面はまるで鏡のようです。


段々と雲が無くなり 真っ青な空に…


ここまで お陽様が昇ると 私のカラータイマーが点滅を始めます
溶けてしまう前に 帰らないと
平地に降りれば カラータイマーの点滅は早くなります…
灼熱の中走行するのは 苦行と感じる年頃になったようです…。


ZX12R
積算走行距離 89390km

そろそろ タイヤが… あと500km持つか持たないかです。
次のタイヤは どれにしようか…








2016年7月24日日曜日

脇道の誘惑…

この季節 日中は溶けそうです。
で、
朝の間を走ることが最良です…。

記録として
7月22日
 
林道金山線
…ここは何度も走っています
三瀬峠旧道(263)から 

約22kmほど続いている林道です.
幅員は狭く くねくねで 砂や落ち葉が
落ちていますが トレーニングコースとして良く走っています。
385に出る前のループ橋に差し掛かると
佐賀の平野が眼下に広がります…
とくに朝の間は気持ちよい箇所でもあります。


7月24日
この日は 日曜で
私にとって不可避である三瀬峠旧道の早朝には 
革ツナギに身を固めた
最新型を駆るSS乗りたちが集まり始めます
今時のSSはスゴいものがあります。
乗り手が巧いのか バイクがスゴいのか分かりませんが
私の前を走るリッターSSが次々と迫ってくるタイトなコーナーを
結構な速度で旋回していきます。
それも 一生懸命でなく軽くです…。
今時のSS恐るべしです。

いつもの道をいつもの目的地まで一気に走るのも楽しいのですが、
たまに 気になる脇道があります…。
脇道の先には雲に掛かった山…
ますます 向かいたくなるのが バイク乗りの性(さが)です。



すでに雲が途切れ始めています…
惜しかった もう少し早ければ 薄い雲海に遭遇出来たかもしれません。
放射冷却の気温差や 朝霧で 山の谷間に
偶然生じる自然現象です。
 またチャンスがあれば来ます…
ハンググライダーの助走台がありました… もう使われていないようです。
こんな恐ろしい遊びもあるのですね…
こんな所に立つことすらできません。



積算計の数字が揃ったので … ま、どうでも良いですが。

太陽全開になる前に帰還
でないと 溶けちゃいます…

この日はオイル交換をしました…。
オイル モチュール7100 10~40w
88998km

左側ヘッドライト球切れ 交換…。

ZX 12R
積算走行距離 88998KM












2016年7月18日月曜日

鮪(マグロ) TUNA


マグロは寿司ネタとして有名です。
特に本マグロの大トロなどは高級品なのですが、
個人的には中トロの部位が好きです。

バイクの散歩コースとして鷹島を良く選択するのですが、
ここに このような看板があります…。
以前から気にはなっていたのですが、
今回 しっかりと拝見させて頂きました。

赤身の部位は3種類
中トロの部位は2種類
大トロの部位は1種類

知りませんでした…。


ここで 部位のランク付け(価格)してみます。

背中の部分は全部が赤身です。
ここで 一番ランクが高いのが 背筋ナカです
次のランクが 背筋カミ で 
背筋シモ は 下級品ということらしいです…。

お腹の部分は大トロと中トロです。
ここで一番ランクが高いのが 腹筋カミ 大トロです。
次に ランクが高いのが 腹筋ナカ 中トロです。
そして お腹側で下級とされているのが 腹筋シモ の 中トロです。

今現在は 上記のようなランク付けがされているのですが、
この 大トロ部分のランクが上位になったのは
昭和30年以降らしいです…
日本人の食生活が変わり 脂質を好むようになってからです。
それまでは 大トロ部分は猫またぎ(猫も食べない)と言われ
廃棄していたそうです…

私が子供の頃 カマの部分(一般的にブリカマ)などは
魚屋さんでは 売り物にはならないので 人にタダであげるか
魚屋さんが食べるか 捨てていたようです…。
子供ごころに カマのことを魚屋さんに聞いたことがあります…
魚屋さん曰く 
「食べれるし 美味しいけど 魚の中でもっとも不潔な部位らしく
無数の寄生虫が居る」 とのことでした。
確かにフィッシュイーターの魚が補食した時
このカマの部分から粉砕状の補食物のカスが吹き出している光景を
見たことがあります。
ま、火を通せば まったく問題は無しなのでしょうが…

世の中が目まぐるしく変わるように
食文化も変わってきたということですね…



ZX-12R 
積算走行距離 88463KM

暑い季節が来ました…。














2016年7月11日月曜日

朝駆け と 投票

ジメジメ梅雨空の中
早朝、軽く走って来ました…

AM6:00
スタート時のドライ路面も
西へ向かうほど 霧雨状の雨になりほぼウェット
ま、
蒸すような大気より 涼しくて丁度良かったようです…。


今回 浜玉 唐津道路を終点まで行ったことがなかったことと
早朝の平戸大橋を見たかったことと
周辺道路の探索を兼ねて 大急ぎの往復になりましたが、
早朝の幹線道路駆けも悪くありませんでした…。
小雨が程よく体を冷やしてくれ 実に気持ちよかったです。


霧の中
平戸大橋の下を 貨物船が航行していました。
静寂の中 汽笛音が妙に大きく響いてました…
いつも ごった返しているパーキングには誰も居ません。


大昔
この平戸大橋を渡るのに有料だった頃
そして
つい、最近まで生月大橋渡行に馬鹿高い料金を払っていた頃
そんな 懐かしい思い出が よみがえってきます…。

交通量が増す前に帰還しないと
今日は 家族で投票に行く約束をしています…。


日曜の朝です…
人々の一日が始まる頃 なんとか帰還…

近くの小学校の投票所へ 選挙など意味が無いと
思っている人たちも居ることでしょう。
自治体の首長や 県 市  の議会など 視察と称して
高い給料もらっているにも関わらず その別経費で
贅沢三昧 … 血税です。

 …「首長たるもの安価宿泊は恥ずかしい…」 
血税でスィートルームやファーストクラス きっと世界は嘲笑している… 
いつから、この国は 体面を
虚飾するようになったのだろうか…
日本人は本来 そういうものではないと 信じたいです…。

浜玉 唐津道路は 
道路工事代金の償還が終われば無料にするという約束を果たした。

福岡 前原道路は未だ有料… ここは極力走らないようにしています。
これが政治なのでしょう
今日は 有権者の一人として 家族で投票に行きます…。
微力ではありますが、せっかく民主主義の国に生まれたのですから…


帰りに途中 近所でガスを満タンにし、
戻ってすぐに 積算計をスマホに納めます…

この2、3日前に
何年も共に走った朝駆けメンバーの方が わざわざ訪ねて来てくれ
また、一緒にと 誘っていただきました… とても嬉しかったです。
(おそらくですが、3〜4年ぐらいの間で 休日のみ走行
4万キロ超は共に走っている。言葉を沢山交わさずとも
同じ価値観を共有出来た歳月でした。)

でも もう 皆に追いていけないようです…
朝駆けメンバーの持ち味は どんなタイトなコーナーが続く峠でも
かなり速いペースの一糸乱れのない千鳥走行
自分がどんなにキツいラインでも後続車の走行ラインを塞がない
一騎でも遅れれば その車間が空く 迷惑は掛けられない。

おそらく これからソロで走ることになるでしょう。
私は もともとライディングが上手く無い上 

最近は
速度に対して恐怖心からなのか
 無理をしない本能部分が
自分自身の中で大きく占めてくるような
年齢になってしまいました…

追いていけなくなったのは
決してバイクのせいでは無く 乗り手自身の問題のようです…
いつまで 乗れるのか 分かりませんが
いつ、降りても構わないよう 今は この12Rと水入らずで
楽しみたいと思っています。


ZX-12R
積算距離 88135KM

胸の透くような加速をしてくれます…。










2016年7月4日月曜日

最初からこんなに長く乗るつもりでは無かった…

12R
こいつが手元に来たとき、走行距離7000km台

それまで
チタンフルエキ装備 特別限定色の
新車で購入したCB1300SFだった。
このバイクは
1年と少し経過した段階で
次期候補車両も無いのに 何故か どうしても乗り換えたかった…
理由は
だんだん 乗らなくなってきたからだ…
乗り易い 従順な良いバイクだったのに…何故か乗りたくない
好みは個人差なので仕方無い
 
それでも
次期車両候補が どうしても浮かばない

そんな時 
とりあえず つなぎで…ちょっとの間だけ「これでいいや」 
2003年に 12R購入。
 これが欲しいという熱望は無かったということだけ
はっきりと覚えています…。
ただ、この時 飼い馴らされた調教馬より
少々従順で無い荒馬に興味があったのかも知れません。



14年経ちました…



当時
世間で12Rへのバッシングは結構有り
特に私の初期型A-12000年モデルは
曲がらないとか タイヤの接地感が無いとか
直線番長とまで揶揄されていました…。

何度も買い換えを考えました…
もっと 乗り易いバイクが良いのではないか…
もっと 楽なバイクが良いのではないか…
今時のバイクの方が 良いに決まっている。

その都度

こいつとは まだまだ 全然通じ合ってない 
いや、まだだ いや もう少し乗ってみる…

そんなことを繰り返しているうちに 
こんなに時間が経過してしまいました…。



沢山の人と マスツーリングして 追いていけるだろうか…
タイトなコーナーが続く 峠で ちゃんと走れるだろうか…
俺が こいつで走ってる姿は 傍から見てカッコ良いだろうか…
こいつに乗せてもらってるのではなく 俺がこいつに乗っているだろうか…

果たして こいつで良いのだろうか…

こんなことを気にしていた時期ありましたが、
今は どうでも良くなりました。
私にとってかけがえの無い1台です…。

ZX12R
積算走行距離 87926Km

最初から こんなに 長く乗るつもりは無かったのです…
いつの間にか こんなに長く乗り続けてしまったのです。






2016年6月27日月曜日

誰も居ない朝 そして 好天…。

うっとおしい梅雨の真っ只中
ちょっと遅めに起床…

どうも 歳食ったせいか疲れが取れない…
静かだ。
そうだったぁー
家族たちは 学校の休みに合わせ
前日から妻の実家だった…
どうせ 雨だろうと
ベランダ越しに表の路面を見れば 濡れてない
 うん、行けるなぁー

ということで 軽く日中バイクで走ってきました。
遅めの出発で、
震災以降 熊本で飯でも食わねばという思いを果たしたく
 飯を食うなら熊本…そう決めていたのです。
経済効果??? なんの足しにもならないでしょうけどね。
高速飛ばして 日田 そこから 日田広域農道(ファームロード)
経由で
ゴチャゴチャと走って阿蘇市まで…
東口登山道は途中でロープが張ってあり見張り人 
頂登不可 R57も迂回路看板
阿蘇南側へ向かう道も 通り抜け不可の看板…
ただでさえ、方向音痴の上、
向かう先々で道に迷うであろうことは間違いありません

で、とりあえず 早めですが

山賊旅路というお店の
高菜飯 だご汁セットなんですが、
とにかく 量が多く 完食はしたものの 
動けなくなるほど お腹いっぱいになりました。
ホントは2〜3店回って 食い走りしようと思ったのですが、
ここで マイ ストマック ギブ アップ…
だからと言って このまま熊本巡りをしても 震災後だけに
迂回路看板 通り抜け出来ません看板連発状態の熊本だけに
「ここはどこ?…」 状態は必至です。
ここで、オフ車ならば 
通行禁止看板オール突破という気にもなるのですが…
仕方なし…
 雄大ですねぇー

さっき食べたダゴ汁が 程よく消化され始めて
今度は美味しい空気を目一杯頂きます。

上津江経由で日田ICのつもりが 道を間違ったのか
迂回路看板に惑わされたのか 何故か 日田広域農道の四つ角へ

日田ICから
さて、地元HGに戻ります
高速に乗れば 12Rの土俵みたいなものです…。実に気持ち良し。
しかし、ペースメーカーが欲しい。
お、
追い越し車線を走る 黒塗りピッカピッカのレクサス発見 …
このレクサスに猛接近された 
前を走るクルマは ウィンカーを上げ
次々と避けて車線変更しています…
このレクサスは 良い ペースメーカーになりそうです。
しばらく このレクサスを追尾していると…
先に行け と言わんばかり 左に車線変更したので
私は レクサスからの追尾距離を広げ「抜きません」 の 意思表示

「私にとって気持ちの良い 丁度良い速度なのです…
どうか私のペースメーカーになってください」

通常車線と追い越し車線を お互い交互に走りながら
前走車両をパスしていきます。 
レクサスの前方を走るバイクやクルマが居れば
パスするための車線変更がし易いように
 私は前走レクサスから追尾の距離をあけます。
2車両で安心し楽しく走れることは
前走者次第でもあり 追走車次第でもあります。 
お互いの呼吸を合わせることは大事で
そのことは
バイクでもクルマでもありますね…
おかげで
鳥栖JCTまで 退屈せず良いペースで走れました。

 
東背振ICで降り GSで給油 そして そのまま 背振山系へ
つづら折りを上り背振山系を超え 古湯 天山脇 厳木ダム経由で
鷹島

この時点で 妻から 晩ご飯は済ませて欲しいという 連絡が…

以前から気になっていた 鷹島にある 吉乃や という魚料理のお店へ
予約客でいっぱいらしく 残念…。

家路までの途中 海沿いにある
喜八荘で 晩ご飯を頂き
このお店から見える 水平線に沈む お陽様が真っ赤で
真っ赤な光が 店の中にまで差し込み
とても綺麗でした…。

走行距離 506KM
ZX12R
積算走行距離  87706KM
どうか
10万K まで 付き合って欲しいです…。











2016年6月20日月曜日

SUZUKI GSX1400


あんまし豊満なボディーは好みではないのですが、
たまには毛色の違うものに乗ってみるのも
楽しいもんですね
GSX1400 2002年式
GSXーR750から受け継がれてきた油令エンジンですね。


進化が止まらないSS系バイクのネイキッド版が増える昨今
この 古式奥ゆかしいスタンダードな
ジャパニーズネイキッドの豊満ボディーは
懐の深さを感じる好感度はあります。
 あくまでも好感度であり 
好みは やはり小股の切れ上がった
シャープなボディーですけどね。

一見 大柄なボディーは 乗ってみると意外なほどコンパクトで
ニーグリップがカチッと決まります。
そして シート下の大型収納スペースを 改めてみると
豊満ボディーは決して伊達でなく 使い勝手が
良く考えられています。

走り出すと膨大なトルクで車体は押し出され
低い回転域で一気にシフトアップさせられてしまいます。
普段 12Rに乗っているせいか
エンジンフィーリングもポジションも
とっても 快適に感じます。

絶対的な速度を求めることは出来ませんが、
たぶん、0〜100km/hまでの到達タイムならば
クラッチ操作技術の優劣関係無く 誰もが速く到達出来るでしょう。
発進におけるクラッチ操作が有余るトルクで楽な上
回転の落ち込みなど皆無です。
つないで スロットルを捻れば ドンッ と出ます。

重さや大きさは 
峠などタイトな山岳路で苦手な要素となりますが、
スタンダードネイキッドの公道に置ける至便性は
やはり捨て難たいと思いました。
普段、まったく興味が無かった車種だったのですが、
今 こうして乗ってみると
こんなに 快適だったのだ と 改めて思いました。

同級生のバイクですが、
新車購入時から14年経過し
とても 大事にされていたことが 一目で解る車両だけに
これからも 大事にして欲しいと思いました。

このような 古式スタンダード4発ネイキッドは
今後、各メーカー生産取り止め方向に向かうことは否めません。


ZX-12R
積算走行距離 87120Km
あまり、伸びず…
 







 

2016年6月16日木曜日

中高年 バイク 事故


加齢による運動能力の低下で 
もうバイクに乗れないと自らの気力が萎えたとき
例え未練があっても私は迷うこと無くバイクを降ります。 

最近の二輪事故

5月28日 
群馬片側二車線 直進バイクとの右直事故 死亡4人
ライダーと 4輪搭乗者3名 火災により全員死亡

6月8日
横浜市 直進バイクと右折トラックとの右直事故
ライダー死亡

6月12日
埼玉県 コーナーで二輪が対抗車線にはみ出し
4輪に衝突
ライダー死亡


事故を起こせばバイクはとても弱い…。
どっちが悪いとか どっちが優先など言っても 後の祭りです。
右直事故多いですね
危険予知能力を研ぎ澄ますためには
直線での優先依存意識を100%捨てることです。

諸刃の剣

高性能バイクは 誰が乗ってもスロットルさえ開ければ
異次元の加速や 未体験の速度を味合うことができます。
ライド上手だと ついつい錯覚しがちです。
公道においては 自分は『下手っぴ』であると
思って丁度良いのではないでしょうか
公道はバイクだけのものではありません。
もし、速さやテクニックの優劣を試したいのであれば
クローズドコースへ…

公道だということを肝に銘ず


バイクに乗り続けるために
最低限 厳守しないといけないこと 
それは
バイクで死んではいけないことです。
ライダーの 自己責任なのですが
「本望だぜ…」とか「覚悟は出来ている」とか
こんな滑稽な言葉でカッコつけたとしても
漫画チックなジョークであって欲しいものです。
現実となれば 洒落になりません。

周辺の人々を悲しみのどん底につき落とすことになります

バイクで死んじゃいけない

大事なのは バイクを楽しむこと…
昭和の時代から平成にかけて
バイクを取り巻く環境は大きく変わってきたようです…。
若年ライダー全盛の昭和時代は
若さゆえの無鉄砲さや競争心で
 社会的に未成熟な小僧が事故を起こしたともしても
周囲から非難の目を浴びたとしても
若気の至りで済まされるかも知れません。
しかーし
今 平成の時代になり
どちらかというと中高年のバイク愛好家が増え、
世間では分別のあると認識されている大人が事故を起こしています。
事故を起こせば ライダーに対してでなく
バイクそのものに非難が集中することを忘れてはいけません。
(バイク乗りは未成熟な大人なのかもしれませんが)
転倒や事故には十分に注意し
特にベテランライダーは見本を示すべきだと思っています。
軽やかに キビキビと スマートに   
周囲から 「バイクも良いなぁー」と思われるよう
ライダー本人が心の底から楽しむことが一番だと
強く思う今日この頃です。













2016年5月23日月曜日

海沿いの夕方 鷹島


朝から チビの 運動会行事
午後3:00に終了
砂塵とホコリと人で酔いそうでした。
家内と その両親 そして チビ2人 たちは
食事を兼ねた打ち上げのご予定みたいなので

わたくし ちょっとだけ失礼して バイクで ひとっ走り…

涼風で体を冷やすため
今年初めて メッシュのジャケットとパンツを着込み 山へ…
三瀬旧道 七山 鷹島へGo

朝駆けメンバーと ご一緒したことで 交通量の少ない道を 
沢山 知ることが出来きました…。
この時間帯の 最適ルートを 頭のナビにインプットします。
朝駆けメンバーとご一緒する時には
鷹島福島厳木ダム経由で 朝出かけて 仕事前に帰宅…
そんな
軽い散歩程度の目覚ましルートでしたが

今は しっかりと景色や季節を感じながら走りたい気分です。 

真っ赤な海を期待してたんですが
雲に阻まれました。
でも、
大きな空に包まれてるようで ここを走るのは大好きです。


鷹島内は夕刻を過ぎると
人が住んでるのか というくらい
静かです。

明るくなれば活動し
陽が沈めば 外に出ず 休む…
だーれも居ません。




帰りは呼子経由で
帰路の途中 人がたくさん集まっていた箇所があったので
何事かと…停止しました。

棚田でした…。
どうも ここは夕陽スポットのようです。
高級カメラを首からぶら下げた人が多いようです。



距離にして200km行くか行かないかですが、
走って良かったです。





2016年5月17日火曜日

バイクで旅を…。

良い動画です。
何処の何方か面識の無い方の動画ですが
とても 共感したくなりました。

共有のお断りは一方的に一応しましたが、
もし、ダメなら いつでも削除しますので
少しの間でも貼らしてください…。

走りたくなります。










肌で感じる 四季 折々 時々刻々
自然の表情はいつも違いますね。 



2016年4月17日日曜日

熊本頑張ろう…

形式ばったお見舞いや 慰めの言葉は省きます。

九州、特に熊本の被害は大きく 14日から 熊本の大地は 今だ揺れ続けています。

http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/list/

私が経験した西方沖地震(震度6)ですら、余りの揺れに 
屋内に居ることが怖かったのに… 

今回の熊本の災害は その度合いを 超えています。 
2回も大きな揺れに受け その後も 
ずーと震度3~4 たまに 5 の揺れが続いてる 
被災を受けた人々は たまったもんじゃないと思います。


http://getnews.jp/archives/1445565

⚫︎毛布
★水
★食料 (配布しやすい物や 長持ちしやすい物)
★携行缶
★レギュラーガソリン
⚫︎オムツ
⚫︎生理用品
⚫︎大人用オムツ
★ブルーシート
⚫︎ウェットティッシュ
物資が届きはじめたとこもでていて 
おにぎりや パンも有難いですが 同じ物が続いているので
⚫︎バナナ
⚫︎リンゴ
⚫︎みかん
など フルーツや
⚫︎缶詰
⚫︎ソーセージ
⚫︎チーズ
⚫︎かまぼこ


物資など各都道府県の区役所、市役所から熊本県庁宛てに送って頂くと無料で送れるようです。
〒862-8570 熊本県熊本市中央区水前寺6-18-1 熊本県庁行き 支援物資 /団体名か個人名を記入してください   電話/0963831111



バイクに乗るに者にとって 熊本は聖地みたいなものです。

熊本 頑張ろう。





2016年3月22日火曜日

ハスクバーナ(Husqvarna 701)スーパーモトに乗った

ひょんな きっかけで 九州で唯一 ハスクバーナの代理店である

このお店の社長と バイクとはまったく関係の無いことで 知り合い
このハスクを HONDAの技術者が購入したというお話に
興味が湧き

「では、今度 お邪魔しますね」
という感じで、天気も良いし 久しぶりに12Rでも乗るか
その ついでに 寄ってみようという そんな のりでした。

結論は 寄って良かった し とても楽しかった。 



Husqvarnaスーパーモト701

ハスクバーナは もともとスウェーデンのメーカーだったのですが、現在はKTMの傘下です。

私は2スト時代のハスクバーナしか知りません。キックアームが左側にあり エンジン掛けるのが大変だろうなぁーと 眺めていたぐらいです。

このハスクは
KTM690のエンジンを使っていますが、KTMではお馴染みのDUKE690でなく より過激なSMC-R(モタード)です。前後サスペーションは WP製 ブレーキはブレンボ モタードらしくフロントブレーキローターは片側で320πの径です。

まず、シート高ですが、 バイクを立てた時 WP製の前後サスは 結構沈むのですが、170cm位の身長では 両足つんつんで 届くか届かないぐらいでした。車幅は 私の12Rの 半分 いや 3分の1 ぐらいに感じました。パワーモードは三つあるので ノーマルモードで試乗させていただきました。
シート高 890㎜ 車重140㎏台 74~5ps 
以前 試乗したことがある YMAHAのMT07と同じぐらいのスペックだし さらに軽いし、… なんて 甘く思っていたのですが、
そんな思いは吹き飛んでしまいました。 このバイクは上級者向きです。スペックなんて やはり 参考程度ですね…

「楽しくなるまで 好きなだけ走ってください」
というお言葉に甘え … 

表通りに出、トコトコとゆっくり走りながら 前後ブレーキのタッチや効き具合 シフトペダルの位置などを確認し… すぐに4輪車の少ない山側へ…
このお店の裏側にある 小山のタイトなワインディングから 裏道の交通量の少ない中速コーナー、ストレートと楽しんできたのですが、 マッタリ感など微塵も無く車速は上がっていきます。 このスリムなマシンはスロットルをひねると舗装路面を強力に蹴り 歩幅の大きなランナーのように前へ進み、ストロークの長い足回りは そのダイレクト感のある蹴りを見事に路面に伝えてくれます。開けて走るのなら高性能タイヤ装着は必須でしょう。

時代が変わったのでしょうか、また これが今時の4スト単気筒バイクなのでしょうか、
今まで、私が知ってるビッグシングルの400や600(オフ車)とは別次元です。 極低回転域から さらに 中回転域からの吹け上がりの速さはスパルタンです。ちょっとした路面のうねりやマンホールのうねりで簡単にフロントが浮きます。強烈な印象が残るほど楽しく ホント楽しいバイクです だからと言って乗り難い訳でもなくビッグシングルと思えないほど高回転域でも振動は無く 慣れてくると どんどん開けてしまうバイクです。… が、この先を考えると 私の年齢では到底乗り応せない代物で あと10年若けりゃなぁーと思わずメットの中でつぶやきました。。(もっと開けろーと訴えるエンジンです。)
まず
このバイクでトロトロ走るわけにはいかない… とか…
だからと言って直線でしか開けられない番長じゃ笑い者になるなぁー…とか
タイトなコーナーが続く峠を思いっきり走らせたら楽しいだろうなぁー とか
もし、これを購入したら 舗装されたクローズドに持ち込み 後輪滑らしカウンターきって走る練習するかも そして それが出来るバイクだぁー とか
国産4スト250㏄モタードなど やはりモドキかも…とか
ツーリング専用にしたら このモト701が泣くだろうなぁー…とか
いっそのこと 保安部品取っ外してみよかぁー… とか 
軽さは正義だなぁーー とか 
このヒラヒラ感は蝶かもー とか

とにかく この手のビッグシングルのバイクでも決して乗りにくいわけでなく 車体を押し出すパワーがダイレクトで質が違うとでも言いましょうか… 

そう、遠い昔 初めて2ストモトクロッサーで走った頃のことや 2スト時代のKTMに乗せてもらった時の すべての国内公道仕様オフローダーがチャチに感じた頃を思い出します。

色々と考えてしまう そんなバイクです。
もし、40歳代までで、バイク歴が長くメカに詳しく、最高速に飽き または興味が無く 速い遅いなどの論議などとうの昔に卒業し(実際はバイクの手練れで)、バイクに対する知識が充実し 他の人が乗ってなくて、走る楽しみに刺激を求める人にとって たまんない1台じゃないでしょうか…

お店に戻り、マジマジと細部の作りを拝見させてもらったのですが、とても綺麗に作り込まれ 各パーツも贅が施され 価格だけのことはあるなというのが率直な感想でした。

この後 ロイヤルエンフィールドGT535に試乗しました。天気も良く景色を楽しみ、思わず笑みがでるような のんびりした乗り味です。ハスクバーナスーパーモト701 とは 極端に逆の位置付けのバイクです。カフェレーサーっぽい 小ぶりでノスタリジックな雰囲気満載の 好感が持てる造形で、のんびり走って楽しそうなバイクでした。これはこれで乗り味を楽しむ1台ですね…モト701の後に試乗したので最初は250㏄かとおもいました…530ccもあるんですね。








2016年3月12日土曜日

東日本大震災から5年

早いものです…
東日本大震災の発生から 5年が過ぎました…。死者 行方不明者合わせて1万8000人を超える大きな被害を出しました。今だ740人の行方不明者が居るそうです…。黙祷を捧げたいと思います。

まだまだ、復興は終わらず、福島第一原発の廃炉作業は終わりが見えず、除染廃棄物の処理や賠償、さらに 避難が続く人々の生活の自立など、多くの課題が残っているようです。

最近では関西電力の 高浜原発の再稼働で再び電気系のトラブルにより 緊急停止 結局 3,4号機は司法によって 以前と同じく運転差し止め仮処分という決定を下されました。

福島を含め 今、日本には54基の原子炉があるようです。世界でも有数の地震国であり 世界でも例のない原子爆弾が被弾された唯一国であるのに 何故、こんなにも多くの原発が作られたのでしょうか?

戦後70年 … 今の日本は米国の「冷戦戦略」をずっと引きずっているような気がしてなりません。
原発も同じく 政治主導で米国の 思想主義戦略(冷戦)を受け 議論もそこそこに導入されたようです。

子供の頃 「鉄腕アトム」の10万馬力も アメリカドラマでは「原子力潜水艦シービュー号」も 原子力の意味も分からず TVのまえに噛り付いていた頃を思い出します。 夢のパワー原子力…。

世界で起きた大きな原発事故は 
1979年米国のスリーマイル島 
1986年ソ連のチェルノブイリ 

ここから、すでに欧米は脱原発に向かっています。

小資源国 日本にとって 原発は 国策であり 国が計画 民営委託し官民合同事業とし ずっと手厚い保護下に置き、政治が公共事業として利用してきたことは間違いないようです。雇用を呼び 道路は綺麗になり、それに伴い小さな商店も栄える。それでもって自治体も潤い、おまけに電気料金として徴収できる 政治が利用しない訳がありませんよね

5年前は ヒステリックに脱原発を叫ぶ人々を見て とても違和感を感じていました。原発の恩恵を少なからず受益しながら何故なんだろうかと…そして
原発は クリーンで 効率の良い 無限のエネルギーだと思っていました。この狭い日本に54基もの原子炉があるのだから 当然 このような事業を推進してきたお抱え学者や専門家の方々が ある程度は対処できることだと思っていました。また、当時マスメディアに登場する専門家の方々は 楽観思考だったような記憶があります。
しかし、5年経った惨状を新聞や雑誌で知ると あまりにも代償が大き過ぎるような気がします。

安全保障上 原子力は必要だと唱えるとすれば 何故なのかさっぱり分かりません。
海岸線にこのような 放射能施設が集中しているのですから…。

私たちは今、電気を使えることが当たり前だと思っています。好きなだけ電力を使えるこの国に生まれてきたことを感謝しなくてはいけません。 でも原子力という手段は殺戮と破壊のために使われた爆弾の時代から進歩していないと 今は 思います。 
 是でも非でもなく…。




2016年2月13日土曜日

HONDA MONKEY モンキー

年末に
32年前の 私の可愛いモンキーのタイヤとブレーキシューの交換をしました。
おそらく、このモンキーにとって生まれて初めてのタイヤとブレーキシューの交換に
なるので 記録の意味で記します。


ちょっとだけ モンキーストーリーを振り返ってみたくなりました。

1961年 
モータースポーツ復興とバイクユーザーの底辺をテーマにした
モンキーの誕生は 子供向けアトラクション用でした。
あくまでも 遊技場限定のものでした。

1963年
遊戯用の最初のモンキーが登場し 予想外の反響を受け
イギリスより大量のオーダーを受けるのですが、
非公道車としての完全手作りのファンビークルなので
先のことを考えると量産体制は出来きません。
この型は4,5ps/9500rpm 歴代モンキーで最もパワフルです。
英国へ輸出されたモンキーは その後欧州各地へと渡り
アメリカ人の目に留まり ここから大量のオーダーが舞い込んでくる訳です。
あくまでも 子供用ですね

1967年
アメリカからの要望で クルマで運べるような工夫が成されてきます。
折りたためるハンドルやブリーザー閉開式タンクキャップやシート折り畳み機構…
エンジンも OHVからOHCへと
4.8ps/10000rpm から 2.5ps/6000rpmへとディチューンされ
量産化が始まります。
前後ともフレーム直のリジットの足回りですね。
この 5インチホィールの 前後ともリジットモンキーは 
今ではプレミアムもんですね。通称Z50M

その後
1969年には5インチホィールから8インチホィールへ変更され 
フロントのみサスペーションが装備されます。
また、ウィンカーを装備するためバッテリーをシート下に設置
よって、シート折り畳み機構は廃止されます。

1970年代になると この「ミニ&レジャーバイク}というカテゴリーが出来、
他メーカーも続々と このカテゴリーのバイクをデビューさせます。
そして 1974年にモンキーはフレームを一新し リアサスペーションを装備した
現行モデルに近い形になりました。Z50J

ここまで…RIDE97より… 要約 (RIDE97にはもっと詳細に記してあります)


この当時位から バイクに乗っていたのですが、
4ストモンキーやダックスに対して 他メーカーは2ストですので
パワーじゃ 2ストに太刀打ちできなかったことを良く覚えています。
特に ヤマハのFT50 その後GT50 俗称ミニトレなどは 凄く人気がありました。
これが 良く走るのです。



この手のミニバイクでカワサキだけが90ccでした。
確か MS90 … 乗ったことがあるのですが、ミニバイクで 
これ反則だろと思うほど 良く走るという記憶があります。

前置きが長くなりましたが、
私の愛車 モンキーのタイヤ交換をしました。
いつかしなければと思いつつ
タイヤ表面が 硬化を通り過ぎ劣化の域に達していた状態から
2000km余り走っていました。
ここまでタイヤが劣化すると
表面がプラスチックのようになり 減らないんですねぇー。


1984年 Z50J-1
ゴールドリミテッド 4速マニュアルクラッチ
あるバイク屋の薄暗い棚の上で10数年
私がちょっとしたきっかけで引き取って10数年放置
あちこち腐食が発生 エアークリーナー粉末状態
  このままじゃ腐ると思い ナンバー取得して下駄替わりとして使用しています。

皆がカスタムしてみたくなるのも良く分かります。
フレームも弱いし パワーも無いし サスペーションなどスプリングのみ
でも ノーマルのスタイルが一番好きです。

32年前のタイヤ ひび割れ
新しいタイヤも キャラメルブロックです。 そのイメージしかありません。
だって、このスタイルだもん…。十分



とっても可愛いのです…。
乗っても とっても楽しい

この冬の寒い時期も チョークを引かずスロットルも開けず 
キック一発でエンジンが始動します。
Fスプロケット1丁増やしていますが どノーマルです。
いつも、全開です。

タイヤ交換やチューブ交換やパンク修理に関して

合わせのホィールなので 作業は簡単なのですが、
ハブを外すボルト4本 合わせホィールを割るためにさらにボルト4本
リアホィールに至っては スプロケット3本のボルトを外さないと 
ハブのボルトが外せません。パンクしたら面倒臭い構造です。

守るべきこと

空気圧は絶対に規定値を守った方が良いです。
確か1,2kgfで低いのですが、絶対厳守です。
圧が高すぎると 合わせホィールが開き
接合ボルト部分のホィール内側が 富士山のように盛り上がり
組む時に叩いて修復する羽目になります。


ひたすら 大排気量車しか見ていなかった頃の原付小僧時代
全盛だった このような愉快なバイクたち
今 こうして 乗ってみると 
やはり 愉快だな と 改めて思う今日この頃です。