2014年8月6日水曜日

1945年8月6日 原爆の日

1945年 8月 6日  午前8時過ぎ

この日は 
核兵器が世界で初めて実戦使用された日です。

69年前の今日
広島に投下された一発の爆弾
当時、広島市の人口は35万人
亡くなった人たちの数は 正確に把握されてないようですが、
終戦後 昭和20年12月末段階で 投下後の急性障害も含め
14万人の方々が犠牲になられたと聞きます。
また、その後 放射線の影響で 数多く亡くなられたであろうと思います。



この日より3日後 
8月9日 11時過ぎには長崎で 2発目の原爆投下 約5万人が犠牲になる…。

子供も赤ん坊も年寄も 関係なく灼熱の炎で焼き殺されたのです。




原爆投下側の言い分
原爆被爆側の言い分

色々ありますが、勝てば官軍
勝てば正義だという歴史上の事実しかありません。

くだらないです…。

当時
我が国に残ったのは 大国に コテンパンに叩きのめされた史実だけなのです。


昨日 某新聞社が従軍慰安婦記事において誤りがあったとの告げたそうですが、
戦時中 戦争扇動を担いだ新聞社でもあったはずです。
戦後は むしろ自国への自虐史観を植え付けてきた印象があります。
いい加減に 戦後数十年も経てば 歴史の真実は紐解かれることでしょう。

敗戦直後において 旧連合軍にとって不利な資料など公開するわけがありませんよね
日本の負の部分だけが ことさら強調され
欧米諸国の脅威となることを防ぐことしか考えていなかったことでしょう。
そもそも 無条件降伏(ポツダム宣言受諾)…戦勝国にとって煮るも焼くも自由。
下手に逆らい 口答えしても 日本の復興はあり得なかったと思います。
国民は飢え 不潔な環境の中、戦後の混乱は想像を絶していたのではないでしょうか

当時は 欧米諸国の論理と国益がすべてだったはずです。

日本国は 一刻も早く自立の道へと向かうことしか考えてなかった。
国民が飢え死にするぐらいなら 
恥を忍び 大国へのご機嫌を取る選択しか手段はなかったのではないでしょうか
今の日本国憲法など大国からクレームを受けながら ほぼ言いなりになりながら 
日本の政治家と官僚たちが 少しでも日本に有利になるよう
頭脳を駆使して作成されたものだと思います。
当時の政治家や官僚たちほど 優秀であり 我慢強く 高潔な人たちは
居なかったのではないだろうか と 勝手に想像しています。


国土も狭く 資源も無く 原爆を2発も落とされた国が
ここまで復興できたのです。

ひたすら周辺諸国に優越感を与え、
ひれ伏すように頭を下げ 大国から守ってもらい
戦後、護送船団方式という 鎧を身にまとい
インフラを整え…効率的な流通網を整備し
安価で優れたものをつくり
商売で邁進した我が国なのです…
しかし
儲かれば 貿易摩擦が起き 大国から避難を浴びせられ
政治的圧力を掛けられ
控え目にすれば、史実を押し曲げてまで
未だ戦時責任を追及してくる国も居ます…。

世界史上 類を見ない核爆弾を投下された国にも関わらず
基本的な戦後体制は変わらないのでしょうが
多くの犠牲になられた方のおかげで 今の日本があることを
私たちは忘れてはいけないと思っています。



 
原爆投下によって 犠牲になられた方々へ

合掌

…。






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