2014年8月21日木曜日

日本の戦争を少しだけ遡る さらに大雑把に…Ⅲ


未だ、地球上での紛争は絶えず
歴史の節目は戦争によって 作られてきたと言っても過言ではないのかもしれません。

 我が国 日本も明治維新以降 アジアにおいて いち早く 開国和親を掲げ万国公法の尊守を布告し 万国対峙のため 強国自立を目指すことになります。富国強兵のスローガンと ともに我が国日本は戦争の真っただ中へと踏み込んでいきます。

 1932年に起きた 五一五事件をきっかけに 政治家たちは反軍的な言葉を差し控えるようになっていくのです…。また 現職総理大臣を殺害したテロが さらに大がかりな 二、二六事件へと繋がっていきます…。昭和天皇を 「自ら近衛師団を率い現地に向かう」 とまで言わしめた事件です。
 五、一五事件は海軍将校が起こしましたが、
 二 二六事件は陸軍の若い将校たちが首謀者です。
 軍事演習と称し兵卒を引き連れ その総員は1483名。 岡田啓介内閣総理大臣 鈴木貫太郎侍従長 斉藤実内大臣 高橋是清大蔵大臣 渡辺錠太郎陸軍教育総監 牧野信顕前内大臣を襲撃  そして 総理大臣官邸 警視庁 陸軍省 参謀本部 朝日新聞社と 永田町一帯を占拠します。

 背景には 東北地方を中心とした地方庶民の困窮と生活苦 それに対応出来ない政府の無策ぶりに憤慨した志高い青年たちの暴走ということになっています…。これは五、一五事件と共通です。
 また、皇道派と統制派の派閥争いが根底にあったとも言われています。
 天皇陛下は近臣に騙されているという若い将校たちの勘違いもあったかも知れません… 世直し的発想もあったことでしょう…。果たして若い純粋な愛国者たちは国際情勢や政治に熟知していたのでしょうか…。
 
 この事件の首謀者たちは 皇道派(天皇崇拝絶対主義者)でありながら 天皇陛下から絶対的信頼を受けている人物たちを襲撃し殺害するわけです…。 天皇陛下の父親代わりである 鈴木貫太郎。 金融恐慌において経済手腕を発揮し、天皇陛下から絶対的信頼を受けていた高橋是清は軍事費削減を訴えていた政治家の一人です…。襲撃対象の中には海軍関係者も数多く居たわけで この事件後 陸軍と海軍の軋轢を生みだす原因ともなっていきます…。
 
 それまで 立憲君主の大原則として「君臨すれど 統治しない」 
政治に口出ししないという昭和天皇がはじめて自ら意見を述べ 激怒します…。
 天皇陛下の意向を重視した 警察や陸軍は これら襲撃犯を反乱軍として扱い 戒厳令を布いた上で鎮圧にあたります…。首謀者たちの中には拳銃自殺をした者、逮捕され裁かれた者(銃殺)さまざまな結末になります…。(五一五事件では処刑もなく、その後 恩赦で全員釈放されています。)
 
 歴史の裏側になることですが、
 当時 人材発掘の意味で選挙はあったものの 政府実権の一部を握っていたのは 一部の血族財閥であり その系列企業であることです。
…例え 総理大臣に対しても その影響力は強く、政界と強く繋がりがあったということ…。

かりに政治も財布も軍部が掌握したら…どうなるのか…
 
 二二六事件で 襲撃されたのは 海軍出身で戦争回避派、また 天皇機関説を支持する当時の首相 岡田啓介(難は逃れるものの その後求心力を失っていきます)と その片腕であり 軍事費削減政策を強く推し進めようとした 高橋是清(死亡) 等 であること…
さて 軍事費を削減されたら…どこが(誰が)減益を被るのか… 色々と興味が湧くところです。
 
 五一五事件の前年
1931年 満州事変が勃発 ここで 日本と中国(中華民国)の間で武力紛争が起き 5カ月で満州全土を占領しています…。 きっかけは南満州の鉄道の一部が爆破され、当時これを日本陸軍(関東軍)は中国側の仕業とします…が 実は 日本陸軍(関東軍)が爆破していたのです。今で言う自作自演…。 満州鉄道は日露戦争でその権利を 日本がロシアから譲り受けたものです。
 
 さて中国の状況は
1911年…辛亥革命 が勃発し 
 その翌年 中華民国が建国され孫文が指導者となり…。
 当時6歳の清朝廷 幼帝溥儀は自動的に退位し清朝廷は完全に滅亡します。
 翌年1913年に第二革命によって袁世凱が孫文を排斥。孫文は日本に亡命
中華民国は何人かの総統が1~2年単位で交替する中、やがて共産党の勢力も台頭し始めます。
 蒋介石率いる国民党 と 毛沢東率いる共産党が政権を争ってる間、日本軍は中国への勢力を強めていくわけです。

 そのような経緯から 1932年…日本軍(関東軍)は清朝 最後の皇帝 溥儀(西太后が母親)を担ぎ出し 満州国を建国させます…。中国もこれには黙っていませんでした。結果 欧米列強国は満州国建立は認めず国際社会から日本は孤立していくことになります。

1931年… 満州事変 の 後
1932年… 3月 満州国建国 
  同年 … 5月 五一五事件が起き 
1933年 …日本は国際連盟脱退(満州国の建立は国際社会が認めず)
1934年… 日本はワシントン海軍軍縮条約を破棄
1936年… 二二六事件 
1937年…  7月7日 盧溝橋事件 日中戦争が始まります。

 五一五事件と二二六事件の大義には国民の暮らしが含まれているのですが、 この二つの事件の以前から その間 そして以後まで 既定路線のように軍閥へと向かっています…。この二つの謀反によって 政治家は反軍的な言葉は控えられ 陸軍統制派にとって扱いにくい極右翼的思想集団も排除出来 政治的な勢力を強めていくとになります。

この後 日中戦争は泥沼化…。
1938年…国家総動員法
1941年12月8日 日米開戦(太平洋戦争勃発)

少し大雑把に年号を並べてみても 何故 このような戦争が起きたのかまったく分かりません
間違いや見解の違いもあるかも知れませんが も少し深く歴史の中を覗いてみたくなりました。

… to be continued







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