2013年11月5日火曜日

ソロで走ることの楽しみ

 
マスツーリングは目的地もルートも粗方決まってます。
これはこれで仲間たちと走る楽しみがあります。
 
に対して
 
独りで走ること
これも また楽し … 
 
目的地は 出発のときに決め、途中で変更なんてのもアリですしね
ルートに関しては 気まぐれでOK…
何にも縛られず 魂を開放してくれます。


さて、 本日
少々早朝はウェットでした。
 
 
 
 

 
 
しかし、路面も少しずつ
ドライコンディションとなりとても快適になります。
 
 
 
絶景が目の前に現れます。
 
風もなく穏やか日です。
この橋の上で スロットルワイドオープン
滅多にしないのですが、瞬時に・・・・・・Km/h です。
12Rのエンジンも大部くたびれてきた頃ですが、、
まだ、まだ 胸の透くような加速をします。
うるさいのと 恐いので 普段はバッフルを装着していますが、
バッフルを外せば 高い速度域でもスロットルのみのフロントリフトアップは可能でしょう。
 
 

漁れたての食材を選び 内蔵を出してもらって いただきます。
 
午後の部は
 
 
ソロだから出来る道の探索 
この 枝道はどこに通じてるのか…
どこの幹線につながってるのだろうか…
 
 
枝道には色んな出来事があります。
 
 
たまに 小鳥ならず、こんな生き物 などが走っています。
 
 
さらに奥深く林道を探索
 
 
行けども 行けども … 予定ではそろそろ 幹道にでるはずなのに… 
 
陽が沈み 暗くなってきました。いまさら引き返せません
迷ったようです。 
 
山中で真っ暗闇の中
走らないといけなくなりました。
早く山を降りないと…
ここは その昔 よくオフ車で走りに来ていたことを思い出す
一気に降りています。
 
 
 
この季節の林道は 落ち葉だらけです。
それも 湧き水で路面は濡れ 離合も出来ないような細い林道ですが、
下り道だということが救いです。 
進めば平地の幹線道路が出現するはずだからです。
行き止まりだったら… などは考えず信ずるのみ
 
ヘッドライトで大きな障害物や落下物だけを注意します。
細かい 路面の状況など いちいち気には出来ませんね
こういう場合
滑れば 自分の体が的確な反応をしてくれるはず
それを信じるのみです。
 
暗闇山中の林道は 
路面の状況も恐いのですが、
ソロになると さらに別の意味で とても怖い
 
ミラーに知らない人の顔が映っていたらどうしようか
なんだか 得体の知れない 生き物でないものが現れたら どうしよう
いや
こんな道を人が歩いているだけでも 冷えますよね…
 いずれにしても このバイクで走る道ではないようです。
ま こういうハプニングもソロ走りの醍醐味なのかも知れませんが、
歓迎できるものではありませんね
 
 
しかし
ソロだから出来ることが出来たので良しとしましょうか。
 
この日の走行距離 374km
 
 
12R 積算走行距離
69144km
 
乗り込めば乗り込むほど
実に楽しい。
 
 
 
 
 

2013年10月22日火曜日

YB R 125 超コスパバイク

 
スーパーコストパフォーマンス
 
 
「点検の代車でこんなバイク借りてきたよー」
と 来訪者現る
 
そのバイクはYBR125というまったく興味の無い分野でした。
 
メーカーはYAMAHA 製造の統括もYAMAHA
でも 
中国で産声をあげるという 
重慶建設ヤマハ有限公司によって製造されているバイクです。
製造というより 組み立てられていると言った方が
良いのかも知れませんね…
最近は このようなノックダウン方式の2輪車が
増えてきています。
(ライセンス生産と違い
主要パーツなどを組み立て製造することで、日本も途上国時代
アメリカ4輪車などの生産地となった歴史があるようですね。)

もはや、グローバル市場に適応させるため
通貨価値の高い日本国内での ものつくりなど遠い昔の話に
なってしまったようです。
国内より海外に目を向け 世界戦略と名を打ち
今後、国内メーカーでありながら輸入車だとい事例は
増え続けていくことなのでしょうか…
 

簡単な仕様緒元
排気量 単気筒 の 123cc
出力  10ps/7800r/min
重量  125kg
燃料容量 13L
フレームはエンジン吊り下げのダイヤモンド形式
フロントサスペーションはテレスコピック
リアのサスペーションは二本サス
ブレーキはフロントのみ油圧式1ポットディスクブレーキ
 

タンク形状からシュラウドにかけて 
なんとなくYAMAHAのFZシリーズに似てます。
塗装やコーティングや外側の作りなどは
中国生産イメージは払拭しても良いほど 
とても綺麗です。
 

早速乗っからせていただきました。
125ccですから…走るのでなく
動くというイメージしかなかったのですが、
ホントに「動く」レベルでした…。
盛り上がりも無く、振動も無く
いつの間にか回転計の針は 
「え!」という回転域
 
それなりに加速もするし、それなりに登坂力もあるし
日常に足としては なんの不満もない「動き」です。
 
そう、なんの不満も無い「動き」 
「走り」でなく「動き」
つまり 
日常の移動目的として壊れず動く
それで良いんですね…
とても大事なことです。
 
聞くところによると燃費は50km/L
燃料タンク容量13Lですから
 
 
ノン給油で
600km先の高原ホテルでランチも出来る
片道300km先のとんかつ定食屋で舌鼓を打ち戻って来れる
100km先の防波堤に3回も魚釣りが出来る
18インチホィールで、125ccにしては大柄にも見える車体です。
楽々なタンデムも出来そうです。
 
 
そして このバイクの価格が 
なんと 
キャブ仕様で17諭吉前後 
FI仕様で25諭吉前後
私のバイクのタイヤ交換代3~5回分…。
2年ほどタイヤ交換しなければ買うことが出来る
 
 
バイクの楽しみ方は 千差万別 十人十色
これから 晩秋にかけて こんなバイクも良いなぁーと

思った 試乗の日でした。

 
 


2013年10月17日木曜日

台風26号

 
この台風 九州をかすめる程度の割りには
想像以上の強い風が吹きました。
過ぎ去った後も強風が吹き残り、けっこう大きな台風だったようです。

翌日新聞を開けば
伊豆大島 死者 安否不明 43人 死者17人
土石流による山津波は
近年稀に見る台風被害をもたらしたようです。
犠牲者の方々のご冥福をお祈り致します。

ある記事の抜粋ですが、

大島町が避難勧告を出すタイミングは2回はあった。1度目は雨が強まる前の15日夕、気象庁が土砂災害警戒情報を出したときだ。町によると、15日は町長、副町長とも出張で、対応の指揮は総務課長が防災課に常駐する気象庁職員と相談しながら執ったというが、勧告はされていない。
 2度目は、気象庁が記録的短時間大雨情報を受け、都や町に直接電話を掛けて警戒を促した16日午前2時半過ぎだが、町はやはり勧告をしなかった。
 都によると、気象庁からは2時32分を皮切りに計3回、記録的短時間大雨情報を伝えるファクスが届き、「尋常ではない雨なので大島町に警戒を呼び掛けるように」と電話も入った。これを受け、大島町災害対策本部と大島支庁に内容を伝えたが、大島町から被害についての情報が入ったのは午前4時ごろからで、土石流被害の後だった。


やはり自然の驚異の前では
人の英知など無力なのかも知れないのでしょうね

 
 
 


2013年10月15日火曜日

秋ですね…

 空も高くなり
冷んやりとした峠道をいつものメンバーと走りました。
秋という季節はとても短い
 
 
この日は
仕事に戻るので 早朝 ほんの限られた時間でしたが
とても気持ちの良いひと時でした。
 
 
翌日は
 
こんな道 あんな道
 
初めて走る道
 
いつの間にか開通した道…
 
いつも メンバーに頼りっぱなしで走る朝駆けでなく
 
たまには 別行動で ゆったりと
道の探索…でも
 
 
季節が変わる風景の彩りや空気を肌で感じ
 
行ったことのない地域で
普段 食することのない珍味を楽しむ
 
オックステールならずポークテールなど初めてでした。
つまり 豚の尻尾のから揚げ…
 
 
 
知らない道を走り
 
  
 その地域の催しものにも遭遇。
 
 心地よい このような時期はあっという間に過ぎ、
すぐに寒い季節が 到来します。
 
今の季節を感じてみたい今日この頃でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2013年9月30日月曜日

夏の名残り

 
 
 
昔 良く行った峠道を走る機会がありました。
懐かしい。
 
今では
路面状況の良い新道が 次々と開通したせいか
このダム沿いの道は
忘れられたかのように 交通量も少なく
路面の整備も行き届いてないように感じます。
 
でも
「時の流れ 我関せず」とばかり
その周辺の風景は昔と変わらず 
年月だけが過ぎていたかのような佇まいに 
様々な思い出が頭をよぎります。
 
歳食ったバイク乗りにはこんな道が似合ってるのかも知れない
 
これから空が高くなり 
初々しい緑だった 葉っぱの色が変わってきます。
 
 
帰ると
季節の名残りなのか
一輪の朝顔が元気に開いていました。
 
 
12R
走行距離 68029km
 
 
 
  
旅路にて道の選択誤れど
                            吾悔いなきと負け惜しみだね…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013年8月15日木曜日

終戦記念日 68回目

過去 当ブログで この時期になると
お決まりのように 記していますが、
 
この日は先祖を送る日であると同時に
 
大東亜戦争(太平洋戦争)が終わった日でもあります。
 
 
私はまさに戦争が終わって生まれた人間です。
だから、戦争の悲惨さを想像するしかありません。
まして
戦争の是非など語る資格もないはずです。
 
 
私が少年期 青年期には まだまだ
戦争体験や戦地において死の淵を経験した人々は 身近に沢山居ました。
皆、戦争のことになると口を閉ざすという不思議な印象があります。
 
しかし、彼らは戦友会などの集まりには必ず出向いていたようです。
少ない確率で生き残った人たちの集まりだけに
そのような 宴は大事にされていたような記憶があります。
 
 
人間の極限状況を経験された方たちは
それを知らない人間に何を言っても理解してもらえないという
考え方もあったのかも知れない 今はそう思っています。
 
 
戦争はイカンとヒステリックに唱える人も居ますが
複雑な歴史的背景があった当時
そのことを 肯定も否定もする気はありません。
 
ただ、一つ言えるのは
いつの日も これから100年経ってても
終戦記念日はあり続けて欲しいと思います。
なぜなら
人間には学習能力というものがあると信じています。
大事なことは過去から何を学ぶかということであり
 
それを糧にして未来へと繋げる 大事なことだと思います。
 
戦争を知らない平和ボケの中で生きてきた私ですが、
戦争で亡くなった多くの人々に対して合掌させていただきます。
 
 
 
 
 
 


2013年8月8日木曜日

八紘一宇

                                                          12R 走行距離 66662km
  • タイヤ 66025kmで交換
  • オイル オイルフィルター 66661kmで交換
     
    エンジンは絶好調
    足回り リアサス 良く頑張ってる
    外装は よーく見ると アッパーカウルに前走車が巻き上げる
    石礫の洗礼を受けているが まだまだ綺麗。
     
    このバイクがここに来た時、こんなに距離を走るとは思いませんでした。
    実に楽しい そして生産中止になったこともあり 今だ新鮮味があり 古臭さを感じません。
    兎に角 ちゃんとメンテナンスをしていれば頑丈です。
     
     
     
    話は変わりますが
     
    もうすぐ 終戦記念日です。
    毎年 当ブログでこの時期になるとお決まりのように記しています。
     
    他国の批判や中傷は一切してないつもりです。
      
    戦後
    我が国日本は周辺一部の諸国から様々批判を受けながら今に至っていますが
    日本も含め国々にはその国独特の風習や習慣 価値観があります。
     
    我が国日本国民は宗教より それぞれの神道を重んじる人たちが多いはずです。
    神道とは仏教がこの国に入ってくるまで信仰されていた
    簡単に言うと各地における 様々な神様を崇拝するということであり
    山 海 木 石 などの自然崇拝もあれば
    人を祀る神社もあります。
    そして その頂点(神社)が 皇室の宗廟でもある
    内宮に天照大神が祀られている
    伊勢神宮と言われています。

     
    簡単に例を挙げれば山岳信仰では熊野大社
     
     
     
    学問の神様と言われる太宰府天満宮 また各地の菅原神社は天神様を祭り
    天神とは天の神(火雷天神) 自然災害や間伐などで起こる飢饉などを恐れ
    崇拝することらしいです。
     
    大分の宇佐神宮(八番総本宮) また鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮や各地の八幡様とは
    応神天皇のことです。
     
    京都、伏見稲荷大社 そして
    各地、に祀っている稲荷神社 各家庭によくある お稲荷さんは稲荷信仰
    お稲荷さん(おいなりさん)ってキツネのイメージがあるのですが、
    実際は違って
    稲生り(いねなり)が語源で、五穀豊穣を祈願する信仰です。
     
    武田神社は武田信玄、明治神宮は明治天皇 等々…
     
    日本は神道を重んじる国だということが良く分かりますね
    我が国は 神話の国であると同時に そのような古代の人々の精神に
    培われた土壌が根強いということなのでしょうか…
     
     
    日本書紀に 初代神武天皇の建国条令として
     掩八紘而爲宇 
    と 記されているそうです。
    「八紘(あめがした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為すこと亦可(し)からずや」
    適当に訳せば 
    八方に散らばる人々よこれからは皆一つの家の下に
    住んでるように仲良くやってくれ …そんな意味なんでしょう。

    そして 
    これが略され 大正時代に
     
    「八紘一宇」 ハッコウイチウ

    「八紘」は 世界という意味だったのでしょうか
    「宇」 は 家

    つまり 「世界を一つの家のようにする」
     
    という言葉が道徳価値として生まれ
     
    世界で見習うべき国として上位を示す我が国の精神文化は
    このような神道に培われた道徳心だと思われます。
     
     ただ、
    この 言葉 神道 が 先の太平洋戦争における大東亜圏構築を目指す
    国家のスローガンになったと聞きました。

    もちろん 戦争という状況になった要因は様々ありました
    また、
    当時、の欧米諸国の国益と理論が全てだったという背景の中
    アジアの小国の吐出した軍事行動は 欧米諸国至上主義にとって
    好ましくなかったのかも知れません

     最終的に米国からコテンパンに叩きのめされ
    原爆を2発も落とされ…この大戦で沢山の人が亡くなり
    東京裁判で
    この 八紘一宇は
    「自分の国さえ良ければ ほかの国はどうでも良い」
    とまで 解され 
    一時は 「八紘一宇」はGHQからタブーとされた時期もあるらしいのです。

    世界共通の道徳観念もありあますが、
    各国の価値観が食い違うことも 山というほど有るはずです。

    特に 我が国日本の神道を他国に理解してもらうのは
    難しいのかも知れません…

     

     
    是でもなく非でもなく…