2020年8月30日日曜日
総理大臣の辞意表明
2020年8月20日木曜日
灼熱のピンクナンバー
外気温35℃
ちと 暖かい日々が続いている今日この頃
熱源を股の間に抱えて乗るようなバイクは避けたい
それでも
バイクに乗って遊びたいなら
独断と偏見だが、
熱量の少ない それも 熱源が樹脂に囲まれている
ピンクナンバースクーターが ベストだと 私的に思っている
但し
外気温35℃の世界で照射するお陽様ビームは
身体の血液温度を上昇させるには十分過ぎるほどだ…。
ピンクナンバー2騎駆け
この日は早朝から釣りに出かけたのだが、日が昇り さらに日が昇り
あまりの暖かさに 山へと非難…
山へ登れば 5℃位は外気温が下がる…
渓流や小川沿いの山路は涼しい…。
釣果?…釣りどころではないほど 暖か過ぎだった
熱中症対策として 準備していたこと
カチカチに凍らした 電解質が含まれたスポーツ飲料水ペットボトル一本
水をペットボトル一本 計2本 そして 湿らせた冷感タオルを
保冷剤入りソフトクーラーボックスに入れ
シート下ラゲッジスペース もしくは トップケースの中に持参…。
何故 水だけじゃなく スポーツ飲料水なのか
外気温35℃という世界では
発汗の勢いは半端なく 水分+塩分の補給が重要だ…
水だけじゃ 足りない。
熱中症は 本人の自覚なく突然襲ってくるケースがあるので
十分に注意…
もし
頭がボーとして ヤバそうだと思ったら 即休憩
湿った冷感素材タオルで 首筋 脇の下などの動脈を冷やす…
一旦上昇した血液温度を下がるためなら 直接水を浴びても良いはずだ…
こりゃーまずい と 思ったら 海沿いは避け
山に避難すべし。
灼熱の日に選択するコース
このような 灼熱季節のバイクライドは 時間帯は当然ながら
コース選択が重要で
海沿い路はあまりお勧めできない…
この時期 何故か海沿いは交通量が多く
気温も交通量に比例し高くなる…。
渋滞でもハマったら 灼熱の洗礼をもろに受けることになる…。
この時期のコースは
やはり 気温が若干下がる 山路だ…
いや それでも
「海沿いの 小洒落たカフェにたたずむ自分が好きなんだ」
と妄想する人も結構多いと思う…。
そんなとき
灼熱地獄に一番向いているバイクは
しつこいようだが
独断と偏見で ピンクナンバーだ…。
「あ、渋滞だ 道変えUターンしよ…」とか
「コース変更 細路だがクネクネ裏道を行こ…」とか
クロックスや海パンをシート下に入れ
「暑いから海に入っちゃえ…」とか
クソ暑いジャケットをシート下やトップケースに入れ
盗難の不安なく徒歩で涼を求め探索…とか
灼熱対応への選択肢がいくらでもあるからだ。
でも
人の考え方は 千差万別 十人十色
「スクーターなんか通勤以外に乗れるかぁー」
「海辺で絵になるのはエンジンむき出しのバイクだろ」
「やっぱー海辺を走るバイクは大型がクールだぜぇいー」
と考える人たちが居ても当然だ…
巨大ストーブと化したエンジンを股間に置き
汗だくやせ我慢笑顔で灼熱の中走るのも構わないし自由だと思う
本来
バイクなんて そんなもんだ…し 嫌なら乗らなきゃ良いだけだ。
でもねぇー
やっぱ― 灼熱最強のピンクナンバーはこの季節不可欠だ…。
2020年8月15日土曜日
終戦 75年
終戦の日 75回目
日本 そして 他国も含めこの大戦で
亡くなった 多くの人たちに合掌…
静かに
戦没者を追悼し
尊い犠牲の上に今の日本が存在しているということを
胸に刻みたいと思います…
この画像は内容とは関係ありません お墓参りの 出先にて スマホでパチリ… |
終戦の日に 何があったのか簡単に…
この前日に 日本政府はポツダム宣言の受理を決定し
翌 8月15日正午 天皇陛下自ら
御放送(録音)によってポツダム受理(敗戦)を国民に伝えたという日だ…。
一般的に玉音放送というものだ…。
果たして これが終戦の日なのか…と異論を唱える歴史好きも居る
なぜなら ポツダム宣言受理の意思を示した後も
中国大陸 東南アジア 北方北海道 等 で
多くの日本人は ソ連 中国の攻撃 で亡くなっているからだ
まして この後も シベリア抑留で強制労働を強いられた日本人は沢山居る
9月2日の降伏文書調印式が終戦じゃないのか
とか
その6年後の サンフランシスコでの講和条約で終戦だろう
という
様々な論議があるようだ。
戦争を感情論で済ますのではなく
時系列に 歴史の紐を解き
不謹慎かもしれないが、
当時を想像してみたくなるのは
今日が終戦の日だからなのかもしれない…。
仮に75年前の今日まで遡ったとして
当時の日本人は …
天皇陛下の御放送を どんな気持ちで聞いていたのだろうか…
とても想像に想像が膨らみ妄想を描いてしまう…。
多分
この日の正午きっかりには 日本中全国民が静まり返っていたはずだ。
戦いに殉じ死ぬつもりだった人々も居ただろう
虚無の境地 うつろな状態に陥った人々も居ただろう
敗戦の御放送だと想像していた人も居ただろう
勝ち負け問わず 戦争が終わりホッとした人も居ただろう
送り出した 我が子の安否を心配している親も居ただろう
戦死した夫や我が子を思う人も居ただろう
家を焼かれ親を亡くし路頭に迷っている子供たちも居ただろう
国民をこれ以上死なせる訳にはいかない
「身はいかならむとも」…と
天皇陛下が自らの命を差し出す覚悟を決断し
対して
現御神である天皇の御馬前で殉ずることが至高の誠だと
信じて疑わない国民
この 日本人独特の思いの関係が
この戦争を境に 戦前と戦後では変わってしまったようだ…。
戦後 飽食の時代に育った身としては
誤解を招くかもしれないが、
正直 天皇陛下を現御神とまでは感じれない…し
天皇の御馬前で殉ずることが至高の誠 なのか と問われると
大変 困ってしまう。
日本も国民も変わってしまったのは
GHQの占領政策や戦勝国らの影響も多分にある…。
ただ、
当時を想像しながら
今の日本を考えると この 敗戦 の意味とは何だったのか…
そんなことを 今日という日だけ考えてみるのも悪くないと思う…。
是でも無く非でも無く…。
2020年8月11日火曜日
歩いて登って石段70日目
好き易 飽き易 を 絵に書いたような性格にもかかわらず
近所の 石段を登り 坂道を歩き 70日目に突入した…。
我ながら良く続いていると感心する
減量の成果は…
体重は2㎏ほど落ちたが…もう どうでも良くなってきた…
膝周辺が1㎝近く太くなった
太ももは 太くなっているようだが数字に出すほどでなはい
まだまだ体型に パッと見た目の大きな変化はない…。
石段の途中 祈祷寺っぽい建物がある…。
そこで立ち止まり 合掌する
手を合わせると 不思議に色々な思いが交錯する…
死んだ身内のこと 友人のこと
驕(おご)りに満ちた若い頃の反省
嫌な思いをさせた人たちへの謝罪…。
過去を振り返ると 恥ずかしいことばかりだ。
何故か このような密教祈祷寺っぽい場所の方が
ずしっと何か響くものがあり
人とは 煩悩の塊だと つくづく思う
さらに登り 頂上に神社があるので
形式的に 柏手をうち参拝している
家族や身内に何事も無く
穏やかに過ごせている今に感謝する。
自分自身のことでは
生きていること
五体満足に生まれてきたこと
今も五体満足であること に感謝する
しかし
なにも 神前でなくても
普段から 心掛けていれば良いことだ…。
基本 お願いごとは一切しない
バイクに乗ってるからといって
安全祈願等をしたことがない。
バイクに乗らなきゃ生きていけない訳ではない
事故が嫌なら バイクに乗らなきゃ良いだけの話だ。
こーしてください あーしてくださいの
祈願はしない。
基本的にスピリチュアル的なことに感心は薄いが、
仏教用語でいう 因果応報 自業自得 など
自らの行いの結果は自らが受ける…結果には必ず原因がある
これは理に叶った
当たり前の話だと思っている…。
仏教経典云々よりも 生きてきた経験則で
人は学んでいるはずだ…。
どちらかと言えば 慣習的に祭事は行っても
無神論者に近いので お願いごとが簡単に叶うほど
世の中は甘くないだろうし
「虫が良すぎるだろ…」と思っている
むしろ 神前で「十分に幸せだ」とアピールしたいほどだ。
そんなことを続けて70日が過ぎた…
当初はコロナによる自粛から始まった
減量という目的の 階段登りだったのだが、
参拝が 早朝ルーティーンとなってしまったようだ…
小山の頂上から眺める景色も楽しんでいる
ま、参拝といっても形式的なものだ…。
神道とは別の話になるが
法要として
お盆には 死んだ身内や知人の弔いとして 手を合わせたい
死者の魂が戻ってくると云われている この時期
死者の魂が存在するか否かなどは別に重きをおいてないので
慣習と言えばそうかもしれないが
お盆のお参りは 毎年 欠かさずしている。
日本の夏だ…。