2020年8月30日日曜日

総理大臣の辞意表明





総理大臣の辞意表明について感想

このポスト 次に誰が …?

直近では 今回のウィルス騒動の中
金はくれた マスクもくれた
文句は無いはずだ…。
感謝するべきところなのに
何故か
不確かな裏読みで 国民の文句ばっかりが取り上げられ
さらに不安を煽り世間を誘導したがる人々が目立っていた。

税金を 国民 または民間のために費やして 
何がイカンのか さっぱり分からん…
この国で癒着とビジネスを取り上げたらキリが無いだろうに
文句を言いたがる人は こんな時だけ癒着という言葉の
悪印象を直ぐに利用する…卑怯だと思う。

そもそも 国民からは取りたか放題のケチで
そのくせ 諸外国へは気前の良い外面ばっかしの日本が
落ち込むであろう経済活性化のためとは言え
ロックダウンもせず
年齢問わず国民一人当たり
大枚の10万円を配るなど大盤振る舞いのはず…。
過去にあったのは
リーマンショックで12000円の給付 それも18歳以上
その前は商品券という給付もあった。
バブルがはじけた時は 
なーんも無かったような気がする…


国内では 何をしても ぼろくそ言われ
それでも
世界の首脳人たちからの評価は高く とても惜しまれている
世界でこんなに名前が知れ渡った日本の総理大臣が居ただろうか
実務にこれほど精魂を注いでいた総理大臣は他に居たか
本来、日本の総理大臣なんて
世界から見れば 「あー、そんな人が居たなぁー」 程度でしょ。

このポストが他の誰かに務まるのだろうか…


頭脳明晰な官たちの言いなりになり 長いものに巻かれ
票田のために動くだけで
国民のために戦う政治家なんて とても少ない


総理大臣の悲願でもあった
憲法改正も北朝鮮拉致問題も道半ばに終わった
我々出来の悪い国民相手に頑張っていた印象しかない

お疲れ様でした としか言いようがない

以上


2020年8月20日木曜日

灼熱のピンクナンバー

外気温35℃

ちと 暖かい日々が続いている今日この頃

熱源を股の間に抱えて乗るようなバイクは避けたい

それでも

バイクに乗って遊びたいなら

独断と偏見だが、

熱量の少ない それも 熱源が樹脂に囲まれている

ピンクナンバースクーターが ベストだと 私的に思っている

但し

外気温35℃の世界で照射するお陽様ビームは

身体の血液温度を上昇させるには十分過ぎるほどだ…。

ピンクナンバー2騎駆け

この日は早朝から釣りに出かけたのだが、日が昇り さらに日が昇り

あまりの暖かさに 山へと非難…

山へ登れば 5℃位は外気温が下がる…

渓流や小川沿いの山路は涼しい…。

釣果?…釣りどころではないほど 暖か過ぎだった


熱中症対策として 準備していたこと

カチカチに凍らした 電解質が含まれたスポーツ飲料水ペットボトル一本

水をペットボトル一本 計2本 そして 湿らせた冷感タオルを

保冷剤入りソフトクーラーボックスに入れ

シート下ラゲッジスペース もしくは トップケースの中に持参…。

何故 水だけじゃなく スポーツ飲料水なのか

外気温35℃という世界では

発汗の勢いは半端なく 水分+塩分の補給が重要だ…

水だけじゃ 足りない。

熱中症は 本人の自覚なく突然襲ってくるケースがあるので 

十分に注意…


もし

頭がボーとして ヤバそうだと思ったら 即休憩 

湿った冷感素材タオルで 首筋 脇の下などの動脈を冷やす…

一旦上昇した血液温度を下がるためなら 直接水を浴びても良いはずだ…


こりゃーまずい と 思ったら 海沿いは避け

山に避難すべし。


灼熱の日に選択するコース

このような 灼熱季節のバイクライドは 時間帯は当然ながら 

コース選択が重要で

海沿い路はあまりお勧めできない…

この時期 何故か海沿いは交通量が多く 

気温も交通量に比例し高くなる…。

渋滞でもハマったら 灼熱の洗礼をもろに受けることになる…。

この時期のコースは

やはり 気温が若干下がる 山路だ…


いや それでも 

「海沿いの 小洒落たカフェにたたずむ自分が好きなんだ」

と妄想する人も結構多いと思う…。

そんなとき

灼熱地獄に一番向いているバイクは

しつこいようだが

独断と偏見で ピンクナンバーだ…。

「あ、渋滞だ 道変えUターンしよ…」とか 

「コース変更 細路だがクネクネ裏道を行こ…」とか

クロックスや海パンをシート下に入れ

「暑いから海に入っちゃえ…」とか

クソ暑いジャケットをシート下やトップケースに入れ

盗難の不安なく徒歩で涼を求め探索…とか

灼熱対応への選択肢がいくらでもあるからだ。


でも

人の考え方は 千差万別 十人十色

「スクーターなんか通勤以外に乗れるかぁー」 

「海辺で絵になるのはエンジンむき出しのバイクだろ」

「やっぱー海辺を走るバイクは大型がクールだぜぇいー」

と考える人たちが居ても当然だ…

巨大ストーブと化したエンジンを股間に置き

汗だくやせ我慢笑顔で灼熱の中走るのも構わないし自由だと思う

本来

バイクなんて そんなもんだ…し 嫌なら乗らなきゃ良いだけだ。

でもねぇー

やっぱ― 灼熱最強のピンクナンバーはこの季節不可欠だ…。



2020年8月15日土曜日

終戦 75年

終戦の日 75回目


日本 そして 他国も含めこの大戦で

亡くなった 多くの人たちに合掌…


静かに

戦没者を追悼し

尊い犠牲の上に今の日本が存在しているということを

胸に刻みたいと思います…


この画像は内容とは関係ありません お墓参りの 出先にて
スマホでパチリ…



終戦の日に 何があったのか簡単に…

この前日に 日本政府はポツダム宣言の受理を決定し

翌 8月15日正午 天皇陛下自ら 

御放送(録音)によってポツダム受理(敗戦)を国民に伝えたという日だ…。

一般的に玉音放送というものだ…。

果たして これが終戦の日なのか…と異論を唱える歴史好きも居る

なぜなら ポツダム宣言受理の意思を示した後も

中国大陸 東南アジア 北方北海道 等 で

多くの日本人は ソ連 中国の攻撃 で亡くなっているからだ

まして この後も シベリア抑留で強制労働を強いられた日本人は沢山居る


9月2日の降伏文書調印式が終戦じゃないのか

とか

その6年後の サンフランシスコでの講和条約で終戦だろう

という

様々な論議があるようだ。


戦争を感情論で済ますのではなく

時系列に 歴史の紐を解き 

不謹慎かもしれないが、

当時を想像してみたくなるのは

今日が終戦の日だからなのかもしれない…。


仮に75年前の今日まで遡ったとして

当時の日本人は …

天皇陛下の御放送を どんな気持ちで聞いていたのだろうか…

とても想像に想像が膨らみ妄想を描いてしまう…。

多分

この日の正午きっかりには 日本中全国民が静まり返っていたはずだ。

戦いに殉じ死ぬつもりだった人々も居ただろう

虚無の境地 うつろな状態に陥った人々も居ただろう

敗戦の御放送だと想像していた人も居ただろう

勝ち負け問わず 戦争が終わりホッとした人も居ただろう

送り出した 我が子の安否を心配している親も居ただろう

戦死した夫や我が子を思う人も居ただろう

家を焼かれ親を亡くし路頭に迷っている子供たちも居ただろう


国民をこれ以上死なせる訳にはいかない

「身はいかならむとも」…と

天皇陛下が自らの命を差し出す覚悟を決断し

対して

現御神である天皇の御馬前で殉ずることが至高の誠だと

信じて疑わない国民

この 日本人独特の思いの関係が

この戦争を境に 戦前と戦後では変わってしまったようだ…。


戦後 飽食の時代に育った身としては

誤解を招くかもしれないが、

正直 天皇陛下を現御神とまでは感じれない…し

天皇の御馬前で殉ずることが至高の誠 なのか と問われると

大変 困ってしまう。

日本も国民も変わってしまったのは

GHQの占領政策や戦勝国らの影響も多分にある…。


ただ、

当時を想像しながら

今の日本を考えると この 敗戦 の意味とは何だったのか…

そんなことを 今日という日だけ考えてみるのも悪くないと思う…。

是でも無く非でも無く…。




2020年8月11日火曜日

歩いて登って石段70日目

好き易 飽き易 を 絵に書いたような性格にもかかわらず

近所の 石段を登り 坂道を歩き 70日目に突入した…。 

我ながら良く続いていると感心する


減量の成果は…

体重は2㎏ほど落ちたが…もう どうでも良くなってきた…

膝周辺が1㎝近く太くなった

太ももは 太くなっているようだが数字に出すほどでなはい

まだまだ体型に パッと見た目の大きな変化はない…。



石段の途中 祈祷寺っぽい建物がある…。

そこで立ち止まり 合掌する

手を合わせると 不思議に色々な思いが交錯する…

死んだ身内のこと 友人のこと

驕(おご)りに満ちた若い頃の反省

嫌な思いをさせた人たちへの謝罪…。

過去を振り返ると 恥ずかしいことばかりだ。

何故か このような密教祈祷寺っぽい場所の方が

ずしっと何か響くものがあり

人とは 煩悩の塊だと つくづく思う


さらに登り 頂上に神社があるので

形式的に 柏手をうち参拝している

家族や身内に何事も無く

穏やかに過ごせている今に感謝する。

自分自身のことでは

生きていること

五体満足に生まれてきたこと 

今も五体満足であること に感謝する

しかし

なにも 神前でなくても

普段から 心掛けていれば良いことだ…。


基本 お願いごとは一切しない

バイクに乗ってるからといって

安全祈願等をしたことがない。

バイクに乗らなきゃ生きていけない訳ではない

事故が嫌なら バイクに乗らなきゃ良いだけの話だ。


こーしてください あーしてくださいの

祈願はしない。

基本的にスピリチュアル的なことに感心は薄いが、

仏教用語でいう 因果応報 自業自得 など 

自らの行いの結果は自らが受ける…結果には必ず原因がある

これは理に叶った

当たり前の話だと思っている…。

仏教経典云々よりも 生きてきた経験則で

人は学んでいるはずだ…。


どちらかと言えば 慣習的に祭事は行っても

無神論者に近いので お願いごとが簡単に叶うほど

世の中は甘くないだろうし

「虫が良すぎるだろ…」と思っている

むしろ 神前で「十分に幸せだ」とアピールしたいほどだ。

そんなことを続けて70日が過ぎた…


当初はコロナによる自粛から始まった

 減量という目的の 階段登りだったのだが、

参拝が 早朝ルーティーンとなってしまったようだ…


小山の頂上から眺める景色も楽しんでいる

ま、参拝といっても形式的なものだ…。

神道とは別の話になるが


法要として

お盆には 死んだ身内や知人の弔いとして 手を合わせたい

死者の魂が戻ってくると云われている この時期

死者の魂が存在するか否かなどは別に重きをおいてないので

慣習と言えばそうかもしれないが

お盆のお参りは 毎年 欠かさずしている。

日本の夏だ…。



2020年8月6日木曜日

イイ爺ライダー

高校時代からの同級生が 
バイクへとリターンしている…。
リターン納車記念として 
近場の山路を 高校時代の同級生たちと
走ってきた。

勿論  
高校時代から合間を入れず乗り続けている同級生も
自分以外に極少数だが居る


我々が高校生の頃(〇〇年ほど前)
国内販売出来るバイクは メーカー自主規制により
排気量750㏄までだった…。通称名…ナナハン

ナナハンクラスで当時の人気車種は

kawasaki RS 750 four 今でいうゼッツー
Honda CB750 four Kシリーズ(ナナハンの元祖)
この2台に人気が集中していた
特にCB750fourがデビューするまで
大型バイクは外国車を模倣しているものが多かった…。
いや
横置きクランクの4気筒バイクは
CB750fourがデビューする前から
ハンドメイド的イタリアの某高級メーカに存在していた

そして
Suzuki GT750(水冷3発)Kawasaki750ss(空冷3発) と2スト勢が続き
Kawasakiの2スト750ssは 4ストRS750のデビュー後も人気はあった。

Yamaha はTX750 (4スト2発)に加え
出遅れてデビューした
GX750(シャフトドライブ4スト3発)
などは なんとなくパッとしなかった記憶がある
当時はシリンダー数のある方が偉かったような風潮があった。

ナナハンのデビューを時系列に見ると
Honda CB750four→Kawasaki750ss→kawasakiRS750
SuzukiGT750→YamahaTx750 
んな感じかな.。間違ってたらご勘弁

当時 高校生の少年にとって
ナナハン を所有し乗れるのは
リッチな家庭 & 寛大な親 という環境がモノを言った…。
または
中学を卒業し社会で収入を得ている少年ぐらいだ…

当時の高校生にとって
ナナハンは高嶺の花であり憧れでもあった…。
殆どの高校生は 原チャリ 250㏄ 350㏄ 500㏄クラス
それも中古車に乗るのが精一杯で
それでも バイクを所有できるだけ良い方だった
殆どは親から反対され 所有など出来ないのが普通だった。
当時 高校生はバイクでよく死んでいた時代でもあり
親からメシ食わしてもらっている分際で 
「ハナタレ小僧が 何を抜かす」これが大人の意見だろう。
今思えば
親が許可しないのは 当たり前だ…。
私も無断で中古のバイクを買って 家をたたき出された経験がある…。
(当時 我が家は裕福でないので 当然 金は 無い
最初は1万円で50cc 金は後払い 
次はバラバラの90㏄を自分で組んだ 金は信用借りの後払い
当時 ローンなど無かった。)

歳を食って 大型バイクと接する年配ライダーは 
少年時代に憧れていた車種を選択する確率が高い。
その気持ちは良く分かる。
乗りたくても乗れなかった空白期間をさかのぼり
少年時代に胸を焦がした 
あの一台に一気に戻ってしまうわけだと思う。

今や ニッチ分野では代表格とも言える 
Kawasaki史上 最初の名車と呼べるRS900 通称ゼッワン…

少々お高いが、この半世紀近く経ったバイクを購入した同級生。
バイク乗りの仲間が増え嬉しい 
同時に どうか事故だけは起こさないようにと願う…。

独断と偏見だが、
Kawasaki史上 名車と呼べる車両は 3騎だと思っている…。
その中の1騎が 当時の輸出仕様 RS900 ゼッワンだ…。 
その後 GPZ900R(通称 ニンジャ) に ZZR1100(通称 ダブジー)
この3騎は全世界で大ヒットした

Kawasaki史上 名車中の名車だと思う…。

その後kawasakiは 話題性のあるバイクをデビューさせるものの
世界マーケットを的としたら名車と呼ばれるかどうか微妙だ…。

何故か
750(通称ゼッツー)の方が希少性からなのか
人気があるという現象が起きているが、
Z1が主であり Z2は規制による国内販売版だ。

いずれにしても 納車おめでとう 
記念すべきとし ここに記したい。


さて もうひとりの同級生が駆る 白馬の1騎
もう10年以上経っているのに ピッカピッカだ…

我々が高校時代 まだまだ ドルに対して円は凄く安かった
固定相場でワンダラー360円ぐらいだったじゃないだろうか…
為替レートでいえば 
ドルは 円に対して今の3倍以上の価値があったのだ。

当然
アメリカ製のバイクなど 夢の夢だった…
にもかかわらず、
アメリカという大国からの影響を多大に受けた日本 
我々の世代は特にだ…
TVに映画 食文化に雑誌などで 骨抜きにされた世代かも…。
バイクを知らない人でも ハーレーと聞けば知っているはずだ。

この影響力は映像によるものが大きい。
つまり
ハーレーダビッドソンを駆る主人公を題材にした映画が数多くある。

代表的なヒット作は

イージーライダー
グライド イン ブルー

大好きで当時 この二つの映画は何度も観た覚えがある…

イージーライダーは 
ヒッピー的な反合理主義者(自由人)たちが主人公だった
どちらかと言えば バイク乗り達は反体制側だ…

対して

グライド イン ブルーは 
当時の製品名「エレクトラグライド」が登場し
アメリカ白バイ隊員のお話であり 当然だが 体制側だった。

これらの映画を見て ハーレーダビッドソンに憧れるのは
影響を受けやすい少年なら 当たり前の話だ…
しかしながら 大人でも
そう簡単に買える代物ではないハーレーダビッドソンの時代だった…。

それが
今では簡単とまではいかないが頑張れば買える時代になった…。

高校時代、ドイツのバイクなど まったく興味が無く
今でも
BMWは4輪車のイメージが大きい
今でこそ 縦置きは2発水平対向エンジンのみになったが、
ちょっと前まで、
縦置き片側多気筒(4気筒)エンジンが平気で作られていた…
まるで 4輪を2輪にしただけのイメージがあった。

バイクを知らない人から「BMWのバイクってあったんだ」 と 
言われることが多く
ひどい場合は
「あ、あの人 バイクにBMWのエンブレム貼っている…」
そう思われてしまうこともある…。


我々は いい歳をした いい爺ライダーだ。

到底 若者たちには及ばないにしても 
バイクに乗ったからと言って若返ることなど出来ないとしても

楽しいものは楽しいので仕方ないのだ と 思う今日この頃…。