好き易 飽き易 を 絵に書いたような性格にもかかわらず
近所の 石段を登り 坂道を歩き 70日目に突入した…。
我ながら良く続いていると感心する
減量の成果は…
体重は2㎏ほど落ちたが…もう どうでも良くなってきた…
膝周辺が1㎝近く太くなった
太ももは 太くなっているようだが数字に出すほどでなはい
まだまだ体型に パッと見た目の大きな変化はない…。
石段の途中 祈祷寺っぽい建物がある…。
そこで立ち止まり 合掌する
手を合わせると 不思議に色々な思いが交錯する…
死んだ身内のこと 友人のこと
驕(おご)りに満ちた若い頃の反省
嫌な思いをさせた人たちへの謝罪…。
過去を振り返ると 恥ずかしいことばかりだ。
何故か このような密教祈祷寺っぽい場所の方が
ずしっと何か響くものがあり
人とは 煩悩の塊だと つくづく思う
さらに登り 頂上に神社があるので
形式的に 柏手をうち参拝している
家族や身内に何事も無く
穏やかに過ごせている今に感謝する。
自分自身のことでは
生きていること
五体満足に生まれてきたこと
今も五体満足であること に感謝する
しかし
なにも 神前でなくても
普段から 心掛けていれば良いことだ…。
基本 お願いごとは一切しない
バイクに乗ってるからといって
安全祈願等をしたことがない。
バイクに乗らなきゃ生きていけない訳ではない
事故が嫌なら バイクに乗らなきゃ良いだけの話だ。
こーしてください あーしてくださいの
祈願はしない。
基本的にスピリチュアル的なことに感心は薄いが、
仏教用語でいう 因果応報 自業自得 など
自らの行いの結果は自らが受ける…結果には必ず原因がある
これは理に叶った
当たり前の話だと思っている…。
仏教経典云々よりも 生きてきた経験則で
人は学んでいるはずだ…。
どちらかと言えば 慣習的に祭事は行っても
無神論者に近いので お願いごとが簡単に叶うほど
世の中は甘くないだろうし
「虫が良すぎるだろ…」と思っている
むしろ 神前で「十分に幸せだ」とアピールしたいほどだ。
そんなことを続けて70日が過ぎた…
当初はコロナによる自粛から始まった
減量という目的の 階段登りだったのだが、
参拝が 早朝ルーティーンとなってしまったようだ…
小山の頂上から眺める景色も楽しんでいる
ま、参拝といっても形式的なものだ…。
神道とは別の話になるが
法要として
お盆には 死んだ身内や知人の弔いとして 手を合わせたい
死者の魂が戻ってくると云われている この時期
死者の魂が存在するか否かなどは別に重きをおいてないので
慣習と言えばそうかもしれないが
お盆のお参りは 毎年 欠かさずしている。
日本の夏だ…。
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