戦後 飽食の時代に生まれ育った自分たちが
戦争のことなど語る資格は無いかもしれませんが、
少しだけ…
76年前の本日 午前11時過ぎ
長崎に二発目の原爆が投下されました…。
約7万人の人たちが亡くなりました…。
この3日前 8月6日に午前8時15分
広島に一発目の原爆が投下されています。
正確には犠牲者の数は把握されていないそうですが、
終戦までの7日間後までカウントすると約14万人とも言われいます…
当時 日本政府は
米国から ポツダム宣言の受理を 迫られており
一発目が広島に投下されながらも 黙視し
ポツダム受諾拒否の姿勢を崩さなかったのですが
その3日後 長崎へ原爆が投下され
ようやく ポツダム宣言受諾の論議が御前会議にて成されます。
2発の原爆
そのことを見計らっての ソ連の一方的な不可侵破棄
ここまでコテンパンにやられても
本土決戦などを主張する大臣(陸軍大将)も居た訳で
降伏への賛否を巡り 内閣混乱という状態でした
結局
結論を内閣では決めることが出来なかったわけです…
当時の総理大臣 鈴木貫太郎は 昭和天皇に決断を仰ぎます…
天皇陛下は静かに…
外に意見が無ければ私の考えを述べる
反対論の意見はそれぞれ聞いたが 私の考えに変わりはない
世界の現状と国内の事情を十分に検討した結果 これ以上
戦争を続けるのは無理だと考える
略
しかし 自分がいかになろうとも 万民の命を助けたい
… これ以上戦争を続けては けっきょくは我が国は焦土となり…
略
祖宗の霊にお応えできない…
つまり 天皇陛下の御聖断は
戦争推進派にとっても絶対であり
ポツダム宣言受諾に至ったと言っても
良いかもしれない…
古来は元寇襲来 …明治維新以降 日清 日露 第一次世界と
負けたことがなかった日本ゆえ
負け方を知らなかった日本
オリンピックの競技にも国家間で勝ち負けがあります…
異なることは
判定を下す審判が居らず
公認の人殺しという残虐の極みが戦争だということです…
「まいりました…」を宣言しない限り
永遠に継続するのが国家間の争いなのであり
幾百幾千幾万と残酷な兵器で人の命が消えていくわけです…
そういえば
オリンピック 走り高跳びで金メダルを分け合った選手たちが
居ましたね たしか カタール と イタリア でしたっけ…
ライバルと勝利をシェアなんて 素敵に有りですよね…。
我々はつくづく平和に感謝しなくてはいけないと思います…
同時に
後日の終戦の日を含め…静がに合掌したいと思います…
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