2011年2月2日水曜日

カワサキ フラッグシップモデル史Ⅴ


日本における二輪の高性能化 世界4強時代


日本メーカー二輪の高性能化への道のりを 探ってみると
やはり、国内外レースへの参戦による 各社の競争が
目覚ましく二輪の進化速度を推進してきたように感じます。

フルカウルで身を覆った 高性能車は公道ではなく、
レーサーとして 各メーカーが開発を進めていた時代…

1978年から 市販スポーツ車をベースに 開催された
鈴鹿8時間耐久レースは、
多くの一般ライダーたちから注目されました。
その後、この耐久レースは世界選手権となり
カウリングで身を覆ったレーサーレプリカが生み出される 
きっかけの一つとなったように感じます。
ここから
多くの市販スポーツ車が レースを前提として開発され
小排気量から輸出専用大排気量まで
ワークスマシンをそのままデザイン化し
レーサーレプリカとして
各二輪メーカーは 市販車をラインアップしてきたようですね

例えば、

1983年 GPレーサーをそのままデザイン化し 
初めて公道車にアルミフレームを採用した
SUZUKI RG250γ

1985年世界耐久レースでその名を知らしめ、
そのままの外観で油冷システムを搭載し登場した
SUZUKI GSX-R750

そして R1100を経て
 2001年にGSXーR1000に進化


HONDAでは
1982年まで4年間走らせたGPレーサー NR500から
市販スポーツ車に水冷4サイクルDOHCのV型4気筒を採用したり、

1987年には ワークス仕様の耐久レーサーRVFを
そのまま市販車としたVFR750RC30を受注生産し、

後継車RC45を経て
2000年に水冷V型2気筒VTR1000RC51を
世界スーパーバイク選手権用に限定生産しました。
また、
一般ライダー向けの市販車として、
HONDAは並列4気筒エンジンで 
92年にCBR900RRを海外で発売しています。
軽量かつ高出力のCBRはツーリングにも使えることから、
レーサーレプリカ+スーパースポーツ車そんなイメージで
海外では人気を得ることができました。
 CBR人気は途絶えること無く、98年には燃料噴射エンジンを搭載、
2004年にCBR1000RRに進化しました。

YAMAHAも
1985年に水冷5バルブDOHC4気筒FZをベースに
レーサーレプリカFZR750を登場させ
1993年には鈴鹿8耐用ワークスマシンのレプリカYZF750Rを限定販売しました。

公道向けの輸出専用車としてFZR1000を出荷、
96年にはYZF1000Rに発展させ、
1998年にはさらに進化させたYZF-R1を送り込み、
他社の1000ccスーパースポーツ車たちに対抗していきます。

さて、カワサキですが、
1983年に一時期グランプリレースや耐久レースから完全撤退しています。
しかし、その間GPz900RをNinjaと命名し
輸出用として世に送り出しています。
生産された当時、GPz1100より小さな排気量の
KAWSAKI初の水冷4サイクル4バルブDOHC4気筒エンジンによって
、公道市販車最高の性能が叩き出されたのです。
そして、世界中のストリートライダーに支持され
1984年のA1からA16まで19年間に渡り 2003年まで生産が続けられました

ま、アメリカ映画にも出演しました。
      1983年 レースから一時期撤退していたKAWASAKIは他メーカーの動向を
観察しながら、1987年にレース活動を再開しています。
水冷4気筒GPX750を母体にZXRを開発、 
鈴鹿8耐をはじめ世界耐久及びスーパーバイク選手権などで勝利を重ね、
レーサーレプリカZXR750を誕生させ、
1994年ZX-9Rに進化させています。
さらなる軽量化のため98年にZX-6Rベースの新ZX-9Rを製作。
そして、2004年に ZX-10Rに進化させています。


国際レースのレギュレーション と世界マーケット

1000ccへと各メーカーが技術を集約させ
レーサーレプリカの極致とも言えるモデル化の背景には

2002年には世界GPがモトGPとなり 4スト999ccまでのエンジンでも実施されると
告知され(今では 800cc未満です…)
さらに2003年に市販車対象の世界スーパーバイク選手権も4気筒車に限っての
排気量を750ccから1000ccに増やされ レギュレーションの変更がありました。
そうなれば、このような国際レースが盛んな欧州で、
4気筒1000ccレーサーレプリカモデルに人気が集中することは
明らかなのです。
企業戦略として 1000ccレーサーレプリカに技術を集約させるのは
至極当然ですね。



なぜ、ZZR1200でなくてZX-12Rと名打ったのか

2000年にZXー12Rが登場した時
国際レースである世界GPで走っていたのは 2スト500ccのレーサーでしたし、
(KAWASAKIはKR500 このモノコックフレームはZX-12Rに採用)
スーパーバイク世界選手権で走っていたのは 4気筒750ccでした。

おそらく 
当時、人気が続いていたストリートスプリンターKAWASAKI GPz900Rに対抗し
HONDAがCBR900RR ファイヤーブレードを1992年に登場させ
その後KAWASAKIが HONDA CBR900RR に対抗しZX-9R、をデビューさせ、
レース寄りでなく レーサーレプリカのデザインであるけれど
ツーリングもスポーツも出来るというコンセプトで
両メーカーともストリート寄りマシンとして
900ccを登場させたのではないでしょうか…。

つまり この時点では 

KAWASAKIにとって もっともスプリント的要素が強いモデルに
ZXーRの命名を与え 6Rから12Rまでのラインアップ化を
予定していたように思えてなりません、

だからこそ

当時、公道最速を誇ったGSX1300R(隼)に対抗し 
フラッグシップ車として 圧倒的なアドバンテージで 性能差を見せつけ
ZX-Rの名を知らしめる必要があったような気がします。

また、カワサキファンにとって そうなるとはずだと 
ZX-12Rに期待していはずだったのですが…


その後の時代の流れや 国際レースのレギュレーション変更により
予定は狂い、ZX-12Rは 時代に翻弄されていきます。

To be continued …



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ここからはバイクとは関係の無い話で恐縮ですが…

チェニジアの国家転覆やエジプトの騒乱
果たして、これはエジプト国家に問題があるのでしょうか…
マスメディアの報道によるように
30年も続いた政権に対して 怒ってるのかもしれませんが、

国民が豊であれば、政権が30年であろうと50年であろうと
構わないような気もします。

ここは 約15年ほど前に イスラム原理主義者の観光客に対しての
銃の乱射テロがありました。
この時は 国の政教分離政策に対しての反乱だったような記憶があります…

エジプトにおける 騒乱デモのきっかけはインターネットによる
呼びかけがきっかけだと報道されているのですが、
その 背景には 何があったのでしょうか

いま、じわじわと 物価高騰が後進国や新興国を襲っています。

先進国では
リーマンショック以後
金融市場を救おうとして メチャクチャな金融緩和を行い
投機資金を世界中にばら撒き そのお金は商品市場(穀物含む)に向かっているようです。

エジプトでは
小麦粉が買えない パンが買えない から始まって
今、国民の怒りは 国家へと矛先を向けています

でも、

その矛先が
商品市場に投機をしている先進国に変わっていくような…

そんな気もします。

…是でもなく非でもなく…

 
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