2011年2月28日月曜日

カワサキ フラッグシップモデル史Ⅷ final

生を受けた以上 いつか終わりは来るのでしょうが、
とても さびしいことです。
その宿命は 生まれたときから始まっているのでしょう
でも
そういう時って、青空も 街並みも いつもなら 心躍る風景も
何故か さびしく見えるものですね…。 

バイクも 様々と生まれ
そして
終わっていきます。
2000年 ZX12Rがデビューし、2年後の2002年にZZR1200をラインアップしたのですが、
ZX12Rと共に 2006年にひっそりと生産終了されました…


ある意味 KAWASAKIにとって リッターバイクのジャンルが混沌としていた時期だったの
かも知れません。

2004年にはZX9Rの後継車
スーパースポーツとしての
 ZX10Rがデビューし、
ネイキッドでは ZRX1200
スポーツツアラーとして ZZR1200
若干無理のあるメガスポーツというジャンルをつくり
ここにZX12Rを組み入れました。

まさに kawasaki 迷走の時代だったのではないでしょうか

これでは 方向転換をせざる負えない状況は
明白だったはずです…

フラッグシップの座はやはりスポーツツアラーZZRという
名称が相応しく ZX12RとZZR1200は生産打ち切りとなり
フラッグシップの過激な特性やイメージを終わらせ
その座を後継車に譲ります


kawasaki ZZR1400
北米では ZX-14とネーミングされた
排気量1352cc 180馬力のエンジンを
新開発のモノコックフレームに搭載した
新型 フラッグシップモデルを2006年に発売します。

旧フラッグシップモデル ZX12Rの弱点であるピーキーなバワー特性を見直し
排気量を増やし フラットなトルク特性を実現させました。

低速低回転での 非常に「乗り易さ」を意識させたエンジンは
前フラッグシップモデルZX12Rの街乗りなどでの 非常に扱い難いエンジン特性のため
ライバル SUZUKI 隼(GSX1300R)に セールス(商業目的)において
大敗したKAWASAKIの苦い経験が
色濃く反映されているようにも思えます。

ほんの少しだけ このZZR1400に乗せていただいたことがあるのですが、
低い回転域での アクセリングはとてもスムーズかつ良質で
初期型 ZX12Rとは比較になりません…笑

2008年には 初めてのモデルチェンジが行われ
ユーロ3規制をクリアーし
日本国内に輸入されているマレーシアモデルにおいては
180馬力から190馬力にパワーアップし
ラムエアー作動時は 203馬力とも言われています…
そして 2006年初期モデルの乗り易さを意識した
低回転におけるスロットルレスポンスの鈍さも
見直されたようです…。

いずれにせよ ZZR1400は
 現在市販されている二輪の中で ホスボスの503馬力を除いて
最も高い出力を誇っているようです…


時代の流れはバイクのジャンルに様々なブームをもたらせました。
そして、その一部分に レーサーレプリカ開発に
各メーカー躍起になっていた時代もありましたが、

反面、70年代のカウルを持たない スタンダードフォルムの
ネイキッドバイクの人気も再燃し、
馬力の低い分、乗り易く、楽しく走れることに市場は目を向けています。


2005年からの高速道路二人乗り解禁により
タンデム特性の見直しや
スクーターブーム…etc.

世界一厳しいと言われる日本国内排ガス騒音規制に対応させるべく
今の時代は 各メーカーとも バイクの馬力や最高速一辺倒ではなく
熟年世代のリターンライダーや 女性ライダー そして初心者でも
悠々と走れる 大人に相応しいバイク作りを開始していくような気もしますが…
国内大型 バイク不況の中 

鬼の居ぬ間に … 
なんとやらで 海外メーカ勢の元気の良さが目立つ昨今です。



最後に

カワサキは バイクメーカでありますが、
川崎重工という企業名が示すように
色んな工業製品を製造しているようです。
どちらかと 言えば 私たちのような庶民を相手にする
商売というより、国家的事業を相手にしていると思った方が良いかも知れません。

遠く 遡れば
戦時中の水冷エンジンを搭載した
三式戦闘機 飛燕

その後

海上自衛隊に配備されている
原子力潜水艦を発見するための
対潜哨戒機 P-3C
( 対潜水艦用魚雷搭載 )
潜水艦なども開発製造しています。

また
H2-Aという
大型衛星を宇宙空間に送り出す大型ロケットなど

その他 リサイクルプラントや
生活に欠かせない電力供給のための原子力発電所などの
一部を製造建築したり

トンネルを掘削する大型シールドマシンや 各種大型建設機械の開発製造

あと 新幹線の車両なんかも開発製造しています…

この大きな会社からしてみれば、
バイク部門は 本業の合間にやっているような趣味みたいな
ものかも知れませんが…
たくさんの、国家的な威信をかけた事業をやっているだけに
商業意識とは別に
バイクという分野にもこだわったのかも知れません…。


世界公道最高速にこだわり続けた カワサキ二輪の意地はうなずけるような気もします。




バイクに乗る人の嗜好は様々であり、

とにかく走ることが好きな人
自然の中に身を置き悠々と乗ることが好きな人
ファッションとしてバイクに乗る人
移動のためのツールとして乗る人

どんなバイクであろうと
バイクに乗る理由など十人十色であって良いのです…

もう、目の前に暖かい季節が迫っています…

…春爛漫…
…バイク乗りにとって最高の季節です…




 


2011年2月8日火曜日

カワサキ フラッグシップモデル史 Ⅶ

2000年、2輪を取り巻く情勢が変わります。
それは 海の彼方 
欧州諸国に対して ある国(オランダ)の交通省により
最高速一律規制の働きかけがあったそうです…。



それまで ヨーロッパでは 各国個別の規制がありました。
例えば
ドイツ フランス においては100馬力規制(馬力に対しての税)
スイスでは 環境保護のために大幅な馬力規制と騒音規制…
英国では 125馬力まで…

 ベルギー オランダ イタリア は 特に規制無し
(ヨーロッパ一般向け)


2000年のZX-12R販売においてのある例

ドイツ仕様(排ガス規制がある)の場合
2000年モデルでは、
実測308km/hで型式認定を受け、
市販バイク初の300km/hオーバーマシーンとなった。
しかし2001年からの排ガス規制の更なる強化、
’02年からの最高速度規制が実施されることが決まった。

…etc.

KAWASAKIの新車には仕向け地コードという3桁数字が
タンク下や ヘッドライトの下にあり
そのラベルによって フルパワーの証となっています。

2000年に提案された規制は 馬力や排ガスの各国規制は当然で、 
さらに 最高速に対して
EU諸国すべてに規制という 二輪を取り巻く状況の大きな動きでした。

2001年を目処に実施された規制

・最高速は300km/hまでとする
・構造上、それ以上のスピードが出る車種にはリミッターを取り付ける。
・スピードメーターに300km/h未満の表示とする

4輪に対して、この規制は実施されなかったので
これはZX-12RとGSX1300Rを対象にした規制というのは明らかですね

大型バイクの大きな消費地で このような規制が実施されれば、
バイクへの社会的批判を避けるためにも 日本メーカーは
この規制に適合させ 他国向けへの輸出をせざる負えません
実質、ヨーロッパの規制が世界共通となります…。



この時点で 最高速争いにピリオドが打たれたことになります

KAWASAKIは 2000年に最高速規制の提案があった時点で
熟成不足は覚悟の上、見切り発射でZX-12Rをデビューさせ
GSX1300R(隼)に対抗させたかったようですね

ある意味
500SS RS900 RS750(国内) GPZ900r ZZR1100 と 
その歴史において 最速モデルのタイトルを塗り替えてきた
KAWASAKIの意地を感じます…

後世に 
…公道最速争いをしたモンスターバイクたち… 
そんな雑誌が出たら
ZX-12R A1型でピリオドが打たれたことになります。 

翌2001年に ヨーロッパ規制に対応した ZX-12R A2型をリリース
カラーリングが変わり スピードメータの表示が変更され
インジェクションのセッティングが変わります…。

翌2002年にマイナーチェンジします
基本的なスタイルに変更はありませんが、2年間の熟成を得て発表された
ZX-12RはB1型と呼ばれます。
ラムエアーインテークの形状が大幅に変わります
A1型で 大幅に突き出たラムエアーインテークは 出来るだけ風圧を受け
カウルの影響を受けず、エアークリーナーボックス内に取り込むためだったのですが、
ヨーロッパ規制により 最高速は至上使命ではなくなったため
一般受けする ラムエアーインテークとなります…。
その外、B型では特徴あるモノコックフレームの剛性バランスを見直し
操縦性の向上と 熟成を重ねながら
正常進化という目的で完成度を高めていくことになります…。


B1型 ~ B6F型
その後 2004年にB3型より 環境基準に適合するように
キャタライザー(排ガス清浄装置)が取り付けられ
毎年のように 細かい熟成が重ねられ完成度が高められていきますが…

2006年に フラッグシップの座を 後継に譲り
生産は終了されます…


To be continued…







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2011年2月5日土曜日

カワサキ フラッグシップモデル史 Ⅵ






まさに カワサキから2000年にデビューした 
ZX-12Rは スズキGSX1300R(隼)から 最速の座を
奪い返すための 渾身のモデルだったのではないかと思います。

なぜなら、メーカーが新型開発する時点で
ライバル車を徹底的に研究の上、性能的に確実に勝っていることを
実証した上で 新型車種を発表します。
公道最高速のタイトルを手中に収めるのは 当然だと
誰もが思っていたはずです。

300km/超などという速度を達成するためには 少々の馬力UPでは叶わず
徹底的に空気力学の分析が必要で、
ZX-12Rの車体は
スリム化による 空力性能の向上と、
高速域での車体剛性を上げるために
モノコックフレームを採用しました。

そのために KAWASAKI重工業内の航空機部門も開発に参加し
航空機用の風洞実験設備を使いながら 車体デザインを煮詰め
他社では出来ない詳細な測定をしながら デザインを決定したそうです。

…モノコックの意味は
monoは ギリシャ語で「ひとつの」。coqueはフランス語で「殻」
という 合成語らしいです(Wikipeddia)

この 殻が エアークリーナーやバッテリーケースの役割をしています。
強度的に ZZR1100のツインスパーフレームの2倍以上とも
言われているようです。…



そのデザインの特徴として、高速時の風圧を直接取り込み
可能な限り加給効果を生み出ささせるため 鯉の口のように エアーダクトが
アッパーカウルの下部に飛び出しています。
この加給効果が働いた時に 10%ほど出力が上がるそうです。
非常に個性的なデザインです。


ZX-12Rの主な諸元は以下のとおりです。
(カッコはGSX1300R(隼))

型式:ZX1200A1(GW71A)
発売日:国内販売無し(逆輸入でのみ購入可)

全長×全幅×全高:2080×725×1185(2140×740×1155)
軸距:1440mm(1485mm)
シート高:810mm(805mm)
乾燥重量:210kg(217kg)

エンジン型式:4ストローク並列4気筒(DOHC16バルブ)
冷却方式:水冷
排気量:1199cc(1298cc)
最高出力:178PS/10500rpm(175PS/9800rpm)
最大トルク:13.6kgm/7500rpm(14.1kgm/7000rpm)


燃料タンク容量:20L(21L)
タイヤサイズ 前:120/70-17(←)
タイヤサイズ 後:200/50-17(190/50-17)



誰もが 明らかなアドバンテージを持ち
KAWASAKIの新型車種に性能面で軍配が上がると
思っていたはずです。
後から出したジャンケンで負ける訳がないのですから…

結果は 非常に微妙でした
世界において 新型KAWASAKI 12R  vs SUZUKI HAYABUSAは
注目され 当然比較されます。

最高速度では 2km/h SUZUKI 隼が上回っていた…や

300km/hに達するまでのタイムは KAWASAKI 12Rが上回っていた
…etc.

様々な内容でレポートされ そのインプレッションが雑誌を賑わせてくれたました。

考えてみれば、最速争いにおける最高速など 
バイクの個体差もあるでしょうし、
その時の天候等の条件もあるでしょうし、
ライダーのスキルもあるはずです…
それに 一喜一憂するのも大人気ない話なのですが、

相対的に結果を出すとすれば
「 引き分け 」が相応しい内容だと思います…

後出しジャンケンで 「 引き分け 」というのは
実質的、負けに等しいということは否めないでしょう…

さらに ZX-12Rに対して、最高速以前の 扱いやすさや乗りやすさ等の
基本性能に対して、一般バイクユーザから熟成不足という点での指摘が
増えてくるのです…。
そして…時代の流れによって 
この最高速争いに終焉がやってきます…。

To be continued…。






2011年2月2日水曜日

カワサキ フラッグシップモデル史Ⅴ


日本における二輪の高性能化 世界4強時代


日本メーカー二輪の高性能化への道のりを 探ってみると
やはり、国内外レースへの参戦による 各社の競争が
目覚ましく二輪の進化速度を推進してきたように感じます。

フルカウルで身を覆った 高性能車は公道ではなく、
レーサーとして 各メーカーが開発を進めていた時代…

1978年から 市販スポーツ車をベースに 開催された
鈴鹿8時間耐久レースは、
多くの一般ライダーたちから注目されました。
その後、この耐久レースは世界選手権となり
カウリングで身を覆ったレーサーレプリカが生み出される 
きっかけの一つとなったように感じます。
ここから
多くの市販スポーツ車が レースを前提として開発され
小排気量から輸出専用大排気量まで
ワークスマシンをそのままデザイン化し
レーサーレプリカとして
各二輪メーカーは 市販車をラインアップしてきたようですね

例えば、

1983年 GPレーサーをそのままデザイン化し 
初めて公道車にアルミフレームを採用した
SUZUKI RG250γ

1985年世界耐久レースでその名を知らしめ、
そのままの外観で油冷システムを搭載し登場した
SUZUKI GSX-R750

そして R1100を経て
 2001年にGSXーR1000に進化


HONDAでは
1982年まで4年間走らせたGPレーサー NR500から
市販スポーツ車に水冷4サイクルDOHCのV型4気筒を採用したり、

1987年には ワークス仕様の耐久レーサーRVFを
そのまま市販車としたVFR750RC30を受注生産し、

後継車RC45を経て
2000年に水冷V型2気筒VTR1000RC51を
世界スーパーバイク選手権用に限定生産しました。
また、
一般ライダー向けの市販車として、
HONDAは並列4気筒エンジンで 
92年にCBR900RRを海外で発売しています。
軽量かつ高出力のCBRはツーリングにも使えることから、
レーサーレプリカ+スーパースポーツ車そんなイメージで
海外では人気を得ることができました。
 CBR人気は途絶えること無く、98年には燃料噴射エンジンを搭載、
2004年にCBR1000RRに進化しました。

YAMAHAも
1985年に水冷5バルブDOHC4気筒FZをベースに
レーサーレプリカFZR750を登場させ
1993年には鈴鹿8耐用ワークスマシンのレプリカYZF750Rを限定販売しました。

公道向けの輸出専用車としてFZR1000を出荷、
96年にはYZF1000Rに発展させ、
1998年にはさらに進化させたYZF-R1を送り込み、
他社の1000ccスーパースポーツ車たちに対抗していきます。

さて、カワサキですが、
1983年に一時期グランプリレースや耐久レースから完全撤退しています。
しかし、その間GPz900RをNinjaと命名し
輸出用として世に送り出しています。
生産された当時、GPz1100より小さな排気量の
KAWSAKI初の水冷4サイクル4バルブDOHC4気筒エンジンによって
、公道市販車最高の性能が叩き出されたのです。
そして、世界中のストリートライダーに支持され
1984年のA1からA16まで19年間に渡り 2003年まで生産が続けられました

ま、アメリカ映画にも出演しました。
      1983年 レースから一時期撤退していたKAWASAKIは他メーカーの動向を
観察しながら、1987年にレース活動を再開しています。
水冷4気筒GPX750を母体にZXRを開発、 
鈴鹿8耐をはじめ世界耐久及びスーパーバイク選手権などで勝利を重ね、
レーサーレプリカZXR750を誕生させ、
1994年ZX-9Rに進化させています。
さらなる軽量化のため98年にZX-6Rベースの新ZX-9Rを製作。
そして、2004年に ZX-10Rに進化させています。


国際レースのレギュレーション と世界マーケット

1000ccへと各メーカーが技術を集約させ
レーサーレプリカの極致とも言えるモデル化の背景には

2002年には世界GPがモトGPとなり 4スト999ccまでのエンジンでも実施されると
告知され(今では 800cc未満です…)
さらに2003年に市販車対象の世界スーパーバイク選手権も4気筒車に限っての
排気量を750ccから1000ccに増やされ レギュレーションの変更がありました。
そうなれば、このような国際レースが盛んな欧州で、
4気筒1000ccレーサーレプリカモデルに人気が集中することは
明らかなのです。
企業戦略として 1000ccレーサーレプリカに技術を集約させるのは
至極当然ですね。



なぜ、ZZR1200でなくてZX-12Rと名打ったのか

2000年にZXー12Rが登場した時
国際レースである世界GPで走っていたのは 2スト500ccのレーサーでしたし、
(KAWASAKIはKR500 このモノコックフレームはZX-12Rに採用)
スーパーバイク世界選手権で走っていたのは 4気筒750ccでした。

おそらく 
当時、人気が続いていたストリートスプリンターKAWASAKI GPz900Rに対抗し
HONDAがCBR900RR ファイヤーブレードを1992年に登場させ
その後KAWASAKIが HONDA CBR900RR に対抗しZX-9R、をデビューさせ、
レース寄りでなく レーサーレプリカのデザインであるけれど
ツーリングもスポーツも出来るというコンセプトで
両メーカーともストリート寄りマシンとして
900ccを登場させたのではないでしょうか…。

つまり この時点では 

KAWASAKIにとって もっともスプリント的要素が強いモデルに
ZXーRの命名を与え 6Rから12Rまでのラインアップ化を
予定していたように思えてなりません、

だからこそ

当時、公道最速を誇ったGSX1300R(隼)に対抗し 
フラッグシップ車として 圧倒的なアドバンテージで 性能差を見せつけ
ZX-Rの名を知らしめる必要があったような気がします。

また、カワサキファンにとって そうなるとはずだと 
ZX-12Rに期待していはずだったのですが…


その後の時代の流れや 国際レースのレギュレーション変更により
予定は狂い、ZX-12Rは 時代に翻弄されていきます。

To be continued …



………………………………………………………………



ここからはバイクとは関係の無い話で恐縮ですが…

チェニジアの国家転覆やエジプトの騒乱
果たして、これはエジプト国家に問題があるのでしょうか…
マスメディアの報道によるように
30年も続いた政権に対して 怒ってるのかもしれませんが、

国民が豊であれば、政権が30年であろうと50年であろうと
構わないような気もします。

ここは 約15年ほど前に イスラム原理主義者の観光客に対しての
銃の乱射テロがありました。
この時は 国の政教分離政策に対しての反乱だったような記憶があります…

エジプトにおける 騒乱デモのきっかけはインターネットによる
呼びかけがきっかけだと報道されているのですが、
その 背景には 何があったのでしょうか

いま、じわじわと 物価高騰が後進国や新興国を襲っています。

先進国では
リーマンショック以後
金融市場を救おうとして メチャクチャな金融緩和を行い
投機資金を世界中にばら撒き そのお金は商品市場(穀物含む)に向かっているようです。

エジプトでは
小麦粉が買えない パンが買えない から始まって
今、国民の怒りは 国家へと矛先を向けています

でも、

その矛先が
商品市場に投機をしている先進国に変わっていくような…

そんな気もします。

…是でもなく非でもなく…

 
.


2011年2月1日火曜日

カワサキ フラッグシップモデル史Ⅳ



KAWASAKIは SUZUKIGSX1300R(隼)を意識し
明らかな対抗車種を
2000年に発表した

ZZRではなく

ZX-12R A1 と名打って登場したのです。

何故、ZXという名称なのか 
KAWASAKIは
確かに レーサーレプリカZXR750を進化させ
1994年にZX-9Rを誕生させている

そこで、
日本国内の二輪における高性能化の起因を探ってみたいと思います。
なにせ、前輪と後輪の二本のタイヤで 
ハンドリング、 制動性能 航続距離 他、様々な規制等のすべてを 満たし
 300km/h超の世界に向かうまで…

 その進化の背景に何があったのでしょうか?
少し時代を遡ってみます。

やはり、
 
スーパースポーツにしては
大柄すぎる車体 だからと言って メガクルーザーとしては
レーシー過ぎる このデザインは 不思議ですが…
自転車に小さなエンジンが装着されていた時代や
外国製バイクのコピーから始まった 日本のバイク産業等など
考えれば…
デザインの固定観念など 拭い去っても良く
これも、有りだと思います。
 




To be contined…。