2021年8月31日火曜日

転ばぬ先のトリシティ…


気軽に徘徊 下駄代わり
ついつい 買い物に出かけたくなる

あなどるなかれ…三輪スクーター

トリシティとの付き合いは4年になります…。








スクーターには全く興味が無かった
まして 
三輪など…あり得ないと思っていました…。
しかし 
これは完全は食わず嫌いでした…

スクーター毛嫌いする人の言い分

一 クラッチが無いから 嫌だ

ならば、今時のスポーツバイクはどうだろうか
クィックシフターにブリッピングシフトダウンのオート化 
ライダーの作業負担を減らすという傾向にありますし
クラッチ操作など最初の内は意識していますが
そのうち自然にクラッチ操作をし、 
クラッチ有無の意識など無くなります…
ま、ギアの選択が出来ないので エンジンの回転域が
バイクまかせという点は確かに否めませんが、

二 加速にダイレクト感がないから嫌だ

発進の度にウィリーでもやりますか…
普通に走る分は 常に最大トルクで加速するCVT(自動無段変速)
特に排気量が小さい原付2種など 最近ではかなりダイレクト感はあります
むしろ ギア付きバイクより発進加速楽にスムーズにいけますよ

三 見た目が嫌だ

これは仕方ないです… 恰好にかんしては実用本位なので
恰好や造形美は好みもあるでしょうが、
こればかりは良いか悪いかなどは考察出来ないでしょう……

トリシティーの悪い点

男性はさほど関係無いと思いますが
女性には大いに関係します…
原付2種にしては 重すぎるのです…
倒しでもしたら 起こすの大変だと思います…
気軽に方向転換や引き回しなど 小柄な女性にはどうなのだろうか
確かに前に二輪あるので 走り出せば 問題はないのですが、
本来 スクーターの至便性や実用性を考えると やはり重いのです。

前足が二本あるので仕方ないのですが、
ラゲッジスペースが小さいです
でも
フロアーがフラットなので 
荷を乗せることが出来て凄く助かります…
 
また
足置きスペースが小さいと良く非難されていますが、

普通のバイクの足置きはステップという細い棒です…
足を延ばしたり置く位置を変えたりすることは出来ません
ラゲッジスペースなどもありませんし…

この三輪車のほとんどの悪い点は良い点とのトレードオフです…
あんまり求め過ぎても これは乗り手の我儘だと思っています…。


まとめ…

こればかりは何日か乗り込んでみないと分からないと思います…
チョコッと乗った位じゃ評価できないですよ…
カーブの多い峠道
濡れた路面
未舗装路
転倒からの引き起こし
色んな場面に遭遇して 良さも悪さも分かるはずです…

これ 何度も記していますが…
路上において想定外の出来事が起きた時
旋回時であろうと スタンド擦るほどバイクが傾いていようと
いつでも減速(ブレーキレバーを握れる)出来るという安心感があり
バイクの弱点であるフロントタイヤに絶大の信頼が置けます…
(それが面白くないと言われれが仕方ありませんが)…

このバイクは 好き嫌いがはっきりしていると思います…

大型車からオフ車まで色々と乗り継いできましたし
大型バイクも所有していますが、
なぜか スクーターは所有したことはありませんでした
ハッキリ言うと この奇妙な三輪車が初めてで 
それまで スクーターには何の興味もありませんでした。

しかし
この三輪バイク わが家に来て4年半になりますが大好きになり
今だ 大好きです…






2021年8月20日金曜日

タリバン首都カブール制圧…

8月15日
タリバン 首都カブール制圧
アメリカ 想定どおり撤収
米国寄りの国民は国外逃亡をするために
大混乱

米国を後ろ盾にしていた アフガン大統領は
現金を ヘリとクルマ4台に詰め込み 国外脱出したらしいです
(ロシアメディアが報道…)
これじゃぁー 求心力など無いですね。
アフガン政府軍も侵攻するタリバンと戦う気が失せていたようです…

歴史的に有名な サイゴン陥落もそうだが
個人的には米軍敗走の カンボジア内戦を描いた
「キリングフィールド」という映画を思い出します…
どちらかというと食い違う思想の
二大大国が参戦という構図だったと思うのですが、
勿論 アジアのほとんどは列強が統治していたということもあり
さらに歴史の紐を解いていけば
列強の侵攻により租借されていた過去が前提となります…

中東の場合はもっと複雑な歴史的背景があります…

ところで タリバンとは何か? 
「ランボー 怒りのアフガン」 なんて映画もありましたが、
アフガンはイスラム教国です…
1970年代後半 
当時の旧ソ連(ロシア)は周辺諸国を支配下に置きたく
アフガンへ侵攻してきます…
社会主義国のソ連では 宗教はご法度なので
アフガンと周辺イスラム教部族たちは抵抗します。
(反ソ連部族に対しての支援国家が米国であり
その中には あの911で有名なビンラディンも米国支援のもと
ソ連への抵抗勢力として参戦しています )

結果的にそのソ連の侵攻は失敗に終わるのですが、
その後 武装部族たちによるアフガン紛争が始まります…
そこで 混乱するアフガニスタンを支配下に置いたのが
厳しい戒律のイスラム原理主義組織タリバン政権なのです…

タリバンのルート
アフガンとソ連の争いで 住む家も失くなり 男手も失い
そんな 子供たち難民の面倒を引き受けたのが 
イスラム教国パキスタンです…
その子供たちに 学校で徹底的にイスラム教育を受けさせる訳です…
そのイスラム原理主義を徹底的に叩き込まれた
アフガンの難民たちが 後に
イスラム原理主義組織タリバンを結成するという流れです…

彼らにとって ソ連も米国も敵国といって良いでしょう…
まして ほぼ米国傀儡政権アフガンを
良しとはしないことが伺えます…

米国とタリバンの争い
2001年 9.11 の同時多発テロなど
タリバン政権アフガン VS 米国というバチバチの構図が見えますが
テロを起こしたのは ビン ラディン率いるアルカイダという
国際的テロ組織でした
このテロ組織を保護していたのが 
タリバン政権下のアフガンだったのです…

これを戦争だとすれば 20年に渡る長い争いに至ります…

ビンラディンの引き渡しを拒否したため 
タリバンの拠点へ
アメリカ率いる 国連軍の総攻撃が始まる訳ですが
当然 無関係の市民たちが多く犠牲になります…
結果 タリバンはアフガニスタンから一掃されるのですが、
敗走しながらも勢力は保っていました…

今回は
米国の支援が打ち切られたことにより
このような混乱が起きたのは否めませんが、
米国だけの是非では済まされない部分もあると思います
ソ連という大国の侵攻によって イスラム教国たちが抵抗し
そこへ 冷戦真っ只中の米国がイスラム国を支援し

そんな状況下
紛争で生まれた沢山の難民たちが
後にタリバンを結成し 
混乱したアフガンを厳しい戒律により統治し
9.11テロをきっかけに
アメリカとバチバチの関係になります…

タリバン反勢力側への支援などを含め
米国は アフガニスタンへ駐留します…
タリバンの鎮圧を含め 国内紛争のための戦費がかさみ
米国の兵士も沢山亡くなっています…
いや 米国軍人だけでなく
アフガン軍人 警察
ジャーナリスト
民間契約業者 そして 民間人
人道支援関係者
有名な 日本人医師 中村哲氏など…
沢山の人々が犠牲になっています…
アメリカ軍撤収により すべてがリセットということに… 

部族社会はまとまらないのかも知れませんねぇー

そこで 今です…
中国の経済発展に加え
世界中でウィルスが猛威をふるうわけです…
反米勢力への支援国家問題を含めて
米国内にも沢山の問題があるにも関わらず 
何故 中東の国にそこまで注力するのか、 
国内の世論が湧きたつのは当然なのかも知れません。
民主主義の基本は世論であり民意であるわけです…
国って 国益を一番に重んじるのは当然なのかも知れませんが
このように 
西洋化に対する反感  対して 厳しい戒律に対しての反感
人それぞれだとは思いますが
厳しい戒律など無い我々日本人には理解出来ないとしても
そのことを批判することなど出来ないですし
この混乱によって 
難民が増えることは間違いないようです。
ただねぇー 今 世界中がコロナと戦っている状態なのに
そんな状況の中 こんなことが起きるとは
日本では当たり前になっていますが、
我々はつぐづく
今の平和に感謝すべきだと思います…
今のうちに精一杯平和を満喫し 仕事も遊びも
やれるだけやらないと損だと思います…
庶民レベルで クルマを所有し 趣味でバイクを楽しめ 
世界各国 どこでも行けるだけの収入を得ることが出来る国が
この 地球上にどれくらいあるのでしょうか…

皮肉にも 76年前のこの日 
終戦の詔
正午 玉音放送がされた日でもあります…

是でも無く非でも無く…





2021年8月9日月曜日

負け方を知らない 2発目原爆

戦後 飽食の時代に生まれ育った自分たちが
戦争のことなど語る資格は無いかもしれませんが、
少しだけ…

76年前の本日 午前11時過ぎ
長崎に二発目の原爆が投下されました…。
約7万人の人たちが亡くなりました…。

この3日前 8月6日に午前8時15分
広島に一発目の原爆が投下されています。
正確には犠牲者の数は把握されていないそうですが、
終戦までの7日間後までカウントすると約14万人とも言われいます…

当時 日本政府は
米国から ポツダム宣言の受理を 迫られており
一発目が広島に投下されながらも 黙視し
ポツダム受諾拒否の姿勢を崩さなかったのですが
その3日後 長崎へ原爆が投下され
ようやく ポツダム宣言受諾の論議が御前会議にて成されます。

2発の原爆 
そのことを見計らっての ソ連の一方的な不可侵破棄
ここまでコテンパンにやられても
本土決戦などを主張する大臣(陸軍大将)も居た訳で
降伏への賛否を巡り 内閣混乱という状態でした
結局
結論を内閣では決めることが出来なかったわけです…

当時の総理大臣 鈴木貫太郎は 昭和天皇に決断を仰ぎます…


天皇陛下は静かに…

外に意見が無ければ私の考えを述べる
反対論の意見はそれぞれ聞いたが 私の考えに変わりはない 
世界の現状と国内の事情を十分に検討した結果 これ以上
戦争を続けるのは無理だと考える
しかし 自分がいかになろうとも 万民の命を助けたい
… これ以上戦争を続けては けっきょくは我が国は焦土となり…
祖宗の霊にお応えできない…


つまり 天皇陛下の御聖断は
戦争推進派にとっても絶対であり
ポツダム宣言受諾に至ったと言っても
良いかもしれない…

古来は元寇襲来 …明治維新以降 日清 日露 第一次世界と
負けたことがなかった日本ゆえ
負け方を知らなかった日本


オリンピックの競技にも国家間で勝ち負けがあります…

異なることは
判定を下す審判が居らず
公認の人殺しという残虐の極みが戦争だということです…
「まいりました…」を宣言しない限り
永遠に継続するのが国家間の争いなのであり
幾百幾千幾万と残酷な兵器で人の命が消えていくわけです…

そういえば
オリンピック 走り高跳びで金メダルを分け合った選手たちが
居ましたね たしか カタール と イタリア でしたっけ…

ライバルと勝利をシェアなんて 素敵に有りですよね…。

我々はつくづく平和に感謝しなくてはいけないと思います…
同時に
後日の終戦の日を含め…静がに合掌したいと思います…