2018年8月10日金曜日

73年前の今頃…


もうすぐお盆ですね…。同時に この時期になると 国同士の悲惨な争いを考えてしまいます…。

私は戦後の飽食時代に育った世代ですので 生まれる前の出来事に是非を問う資格はありません…。
しかし
超が付くほど平和な我が国でも ほんの73年前 このような出来事があったということを ざっとですが 忘れないように記したいと思います。

73年前の…

3月9日~10日… 東京大空襲  一夜にして死者10~12万人 罹災者100万人

300機あまりの長距離爆撃機により 東京下町の木造住宅一帯を焼夷弾により低空無差別爆撃…
罹災者のほとんどが 老人 女 子供であったこと…。
健全な男子は ほとんど出征していた…。
以後 東京への空襲は130回以上…。
また
日本全国61都市に無差別爆撃


8月6日… 広島へウラン型原子爆弾投下 同年末まで広島14万人死亡 
8月9日… 長崎へプルトニウム型原子爆弾投下 同年末まで7万4千人死亡

原爆投下も含め空襲によって亡くなった人々は50万人とも言われています…。


簡単な前後時系列


1944年 7月 サイパン陥落 … 日本本土爆撃圏内へ  

1944年…10月…レイテ湾での戦闘で 初めて神風特攻隊が参戦する…。

1945年2月11日 … ヤルタ会談
ヤルタ会談…米国ルーズベルト 英国チャーチル ソ連スターリン によるクリミア半島ヤルタでの協議…敗戦国の領土統治を含めた戦後処理と国際連合創設の協議と一般的に言われているが………(終戦間際 8月 ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄…。)

1945年2月13日…ドイツ ドレスデン に対して英国と米国の爆撃機による 焼夷弾投下と機銃掃射 死者13万人以上

1945年 3月26日~6月23日 沖縄での日米地上戦開始(日本軍全滅)

1945年 4月12日 昼 …米国大統領フランクリン ルーズベルト 脳卒中で死去 その後  副大統領ハリー トゥルーマンが33代目の大統領として任を引き継ぐ…。

日本首相 鈴木貫太郎が哀悼の意を表明 「ルーズベルト大統領の施政が成功を収めたこと そしてアメリカが今日の有利な地位を占めるに至ったのは彼のおかげであると認めざる負えない その故に彼の死去がアメリカ国民にとって意味するところの大きな損失を私にはよく同感できる。私の深い哀悼の意をアメリカ国民に向けて送ります。」これに加えて「大統領の死によってアメリカの戦争継続努力に変化が生ずるとは思えない」と述べ「日本側としても同様、英米の武力政策と世界支配に対抗する全民族の共存共栄のタメの戦争を継続すべく、日本の決意にいささかも動揺はないであろう」 1945年4月14日付け ニューヨークタイムズ 4月15日付け ワシントンポスト 記事は存在している。

1945年 4月30日… アドルフ ヒトラー ベルリンの地下壕にて 夫人エーファ ブラウンと 共に自殺…首都ベルリンはソ連軍の侵攻により占領される…。

1945年 5月7日… ドイツはソ連を除いた連合軍に降伏 翌日 ソ連に降伏 共に無条件降伏…もうすでにドイツは政府の体を成していなかった。

1945年 7月26日… ポツダム宣言 日本に降伏を勧める宣言  ベルリン郊外にあるポツダムにて 米、英、ソ連、の首脳(トゥルーマン チャーチル スターリン)が集まり協議され 日ソ中立条約によりソ連は共同声明から外され 米 英 中 によるポツダム宣言が発表される… 日本がポツダム宣言の内容を飲めば戦争終結 拒否すれば戦争継続…という状況に日本は置かれる…。

1945年 7月27日…このポツダム宣言が正式に日本政府に届く…。ポツダム宣言の発表を日本政府は黙殺

1945年 8月6日…広島へ原爆投下……宮中では最高戦争指導会議が開かれ 黙殺し続けたポツダム宣言受理に関する議題で 受諾派 条件付き受諾派 反対派 と意見が分かれる。

1945年 8月8日…ソ連が 一方的に日ソ中立条約を破棄し戦線布告

1945年 8月9日…ポツダム宣言における会議の最中に第2の原爆が長崎に投下される。ポツダム受諾の可否において 一人でも異論があれば 当時の鈴木内閣は総辞職となり 戦争継続派の陸軍が内閣を組織することになる可能性もあった。 一刻の猶予もなくポツダム受諾の可否を決定しなければならず 鈴木貫太郎首相は御前会議にて天皇陛下に判断を仰ぐことになる…。必ず大臣が決断しなければいけない立憲君主制度において異例中の異例だった。昭和天皇が静かに「ならば 私の意見を言おう………」 ポツダム宣言受諾の決定である…。

また、この日 午前9時に日ソ中立条約を一方的に破棄した ソ連の大軍が満州と南樺太の国境を侵犯… ⇒ 参考 シベリア抑留 強制労働  9人の乙女  残留孤児

1945年…8月15日 正午 …玉音放送(ポツダム宣言受諾を連合国側へ通達した翌日 昭和天皇により 終戦の詔書が 放送され) 日本降伏が国民へ伝えられた…。

1945年…8月16日 汪兆銘の南京政府は解消 
参考 汪兆銘の真実(文春文庫) 漢奸裁判ー対日協力者を襲った運命(中公新書)

1945年…8月17日…インドネシア初代大統領に就任したスカルノがインドネシア独立を宣言する…戦時下 日本軍の侵攻によって330年に渡るインドネシアへのオランダの植民地支配は終わり インドネシアは日本軍の指示により インドネシア人による軍隊(PETA)官僚の育成 法整備などを着々と勧めていた…日本敗戦後も オランダ軍 イギリス軍が侵攻してくるものの インドネシアは3年半に渡る対オランダ独立戦争により 独立を前提とした和平条約をオランダに応じさせた…。(戦後独立したアジア諸国 1946年にフィリピン(フィリピンはアメリカの10年間という期限付き租借地だった。) 1947年にインド 1948年にミャンマー 1949年にインドネシア 1953年ラオス カンボジア 1954年にベトナム 1957年にマレーシア 1963年にシンガポール)

1945年…9月2日 東京湾頭のミズーリー艦甲板上で 重光葵(しげみつまもる)外相が連合国側への降伏文書調印

1945年…9月5日  ソ連 北方4島の占領

1945年…9月21日  GHQにより日本出版法 プレスコード ラジオコードの制限 言論に対する検閲が始まる…。1952年講和条約にて失効

1945年…11月20日~…ニュルンベルク裁判 ドイツの戦争犯罪を裁く裁判

1945年…12月25日 GHQにより神道指令(国家神道の廃止及び神社参拝に対する制限)但し1952年講和条約にて神道指令は廃止。

1946年…5月3日~1948年11月12日  東京裁判開廷 

ここまで…。


サイパンは日本にとって最後の砦であり サイパンの陥落はあり得ないと大本営は楽観的かつ希望的観測と精神主義で高をくくっていたはずです。ここが陥落すれば日本は成すすべもなく 戦時下国際法などは解釈ひとつでどうにでもなることを過去の戦歴で百も承知のはずです。沖縄地上戦日本軍全滅 末期の空襲 2発の原爆投下でも 時系列に歴史を並べると 陸軍は戦争継続を訴えていたことが分かります…。まして ポツダム宣言受理という昭和天皇の御聖断が下されても 宮中では若い将校たちの不穏な動きがあったのです…。(日本の長い日)
アメリカ連合国側からすれば
太平洋戦争において 神風特攻隊 沖縄地上戦 等での 日本軍兵士の屈強な精神力と 日本人の自己犠牲精神は理解できなかったのは当然であり脅威だったと思います。世界広しと言えど原爆2発も落とされたのは後にも先にも日本だけです。まさに 巨大な武闘クジラにしか見えなかったかも知れません…。だからこそ 占領政策として プレスコード ラジオコードの規制という言論制限 挙句は国家神道や天皇神格を否定し 昭和天皇に人間宣言をさせます…。これは日本人のアイデンティティーを変え この巨大な武闘クジラを解体するというGHQの日本に対する戦後政策だったと思います…。
まして、当時 アジア人は人種差別の対象でもあり、白人至上主義に泥を塗り貶めたアジアで唯一の国 日本です…。

これは独断と偏見ですが、おそらくアメリカは戦時下において よほどの重要人でない限り捕虜など取らずアジア人を射殺していたよう想像します…。奴隷制度がまかり通っていた国です。だからと言って アメリカを非難出来ません…全世界が白人至上主義だったのですから 日本人も漏れなく 細目の 黄色い 原住民 と 思われても仕方の無いことであり、アジアのほとんどは欧米諸国の植民地でもあったわけです。 敵味方関係無く それぞれの国には守るべきものがあり それぞれの正義があり、そして それぞれの人々が生きているわけです。そのために衝突が生じるのは当然のことなのかも知れません…。極論かも知れませんが 戦争は勝つためには何でもありの 愚かな残虐の極みだと言っても過言では無いと思います…。そんなことは当時から分かっていたことなのでしょうが、それでも争いは必ず起きるわけです…。


原爆投下については様々な意見が飛び交っていますが、

ここで…
もし仮に 原爆投下が無かったとしたら……
もし仮に GHQの 日本に対する占領統治が無かったとしたら…

日本国は一体どうなっていたのでしょうか…。

戦争末期のソ連北海道侵攻
後に起こる台湾での2・28事件
中国では共産党毛沢東と国民党蒋介石の覇権争い(1949年 国民党は敗退 毛沢東は中華人民共和国を樹立 蒋介石は台湾へ敗走 台湾は中華民国として国民党の支配権へ) …
そして 
朝鮮戦争(1950年 協定38度線を越え北朝鮮が韓国へ侵入 毛沢東は支配地域となった満州から100万といわれる大軍を朝鮮半島に送り込みソ連も限りない援助を満州経由で行い釜山まで攻め入る 対して 16カ国で構成された国連軍は38度線まで追い返し休戦)という冷戦時代の序章 
中国のチベット侵攻等など … 考えただけでぞっとします…。

もうすぐ 終戦記念日です…

この悲惨な出来事で亡くなった全ての方々へ 合掌したいと思います…




 


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