2015年8月16日日曜日

個人的にはお盆…そして終戦記念日

お盆の入りから 中一日を除いて
本日 お盆のお送りまで
ほぼ バイクで動き回っていました。
子供の頃から 1回も欠かさず習慣化しているお盆の行事…。



お盆の頃になれば、空や風に変化を感じます。



中一日はバイクとはお別れです。家族と共に …非常に疲れましたが 仕方無いですね…。 






そして、

70年前の8月15日 日本は終戦を迎えました…
上の画像のような平和国日本で そんな時代も在ったのだと
改めて思い知らされます

日清 日露 日支戦争まで … そして 太平洋戦争 の 入り口ぐらいまでは…
大方で良いので 知っておいた方が良いですかね…

その後の歴史は テレビや 映画 ネット等で盛んにやってますし、
 時系列位は誰でも知っていることでしょう…。
何故、日本は大国アメリカと喧嘩しなくてはいけなくなったのか
これぐらいは もう 知らない人の方が少ないかもしれませんね…
人間は感情の生き物ですが、誰が悪いとか 賛美も否定も無く
冷静に戦争というものを客観視することが大切だと思います…。

日本は 開戦から半年位は快進撃を繰り広げるのですが
ミッドウェイー海戦以降 コテンパンにやられ(詳細は省きます)
玉砕、体当たり自爆、などで 若い多くの命が失われ、
これこそが、この国にとって大きな損失だったと思われます…。
日本だけで310万人もの人たちが戦争で亡くなりました。
最終的には 原爆2発も落とされ 罪なき子供らまで犠牲になり、
それでも、ポツダム宣言受諾にあがきながらも
天皇陛下の玉音放送にて終戦を迎えるわけです…。

この時、鈴木内閣は ポツダム宣言受諾について天皇に丸投げしたようですね…。
まとめきれないという 鈴木貫太郎首相に対して

昭和天皇が「ならば私の意見を言わせてもらう…」ということで
ポツダム宣言受諾が決まったということです…。

立憲君主制においては 
本来なら大臣が決断の責任を負うべきなのですが、

憲法上 沈黙を守らざる負えない天皇が ついに発言したわけです… 

一般市民を狙った残虐な爆弾を非難しつつ 日本国民を思う心情ゆえのことだったと
思いたいです…

この時
 ポツダム宣言受諾の意思が決まった その日の早朝
陸相(陸軍大臣) 阿南惟幾が 割腹自決をし、
その翌日に
特攻の生みの親と言われた
大西瀧治郎が
 多くの若者を死なせたという責任を取り 割腹自決しています…
共に 国体維持と日本国の復興を願い 遺書に残し
若い者は生きろ と 若い将校たちに進言しています…。

その他 終戦後の自決した軍人は沢山居ます…。

ある意味

当時の軍人さんは とてもピュアのような気がします…。
是でもなく非でもなく

歴史は繰り返されると良く言われますが、この先 このような悲劇が起こらないよう
願いたいものです。

現在と 戦時下における状況は違うにせよ、
日露戦争時は 日英同盟
太平洋戦争時前に イタリア ドイツ との三国同盟 と 日ソ中立条約…
この同盟や条約は 各々国益次第で消滅してしまうという歴史は
紛れも無い事実です…



戦争で犠牲になられた多くの人々に 
合掌したいと思います…。