2014年10月9日木曜日

日本の戦争を遡る…アメリカという国…Ⅵ

今のアメリカという国は
 建国から歴史こそは浅いのですが GDP 軍事力 名実共に世界NO1の国であり 多民族国家でありながら もっとも民主化制度が整った資本主義大国です。世界の富豪もこの国に集中しています。アメリカ国民は博愛精神もあり収入が多い人は多額の寄付をする国でもあります。 国土が広いせいなのか大らかな印象を受けます。また、言論の自由が認められた国でもあり、自らの国に間違いがあれば 国民たちは多数決によって直ちにそれを正そうとする勇気もあります。不効率であっても民意を大切にします。だからこそ歴史が浅いにも関わらず 民主主義国家として とても正当に機能しているのかも知れません。
 戦後の日本人は アメリカの映画 音楽 ファッション クルマ バイク 少なからず影響を受けたはずです…。クルマ好きな貴方も バイク好きな貴方も ハンバ-ガーを食べる貴方も 映画好きな貴方も 髪の毛を金髪に染めている貴方も ロックミュージックが好きな貴方も ハーレーダビッドソンに皮ベスト そして ヘルメットやウェアーに星条旗なんかで装飾したことがある貴方(昔 イージーライダーという映画がありました) 私自身も アメリカのデザートレースを「オンエニーサンデー」という映画で知り 「大脱走」でスティーブ マックウィーン駆るトライアンフが国境の鉄条網を飛び越えようとするシーンに 手に汗を握った部類です…。骨抜きにされちゃいましたかね(笑)

人種偏見
 しかし、アメリカという国は つい最近まで 人種偏見の強い国だったということを忘れてはいけません…。アジアの国々が植民地として列強に統治されていた時代、小柄で黄色の肌を持つアジア人は白色の肌を持つ欧米人と比較し 生物学的に劣るという学説を発表するほど人種偏見が強い国だったのです。 明治以降多数の日本人が移民としてアメリカに渡っていました。アメリカに渡った日本人移民は 我慢強く 楽しみにお金を使うこともなく とても良く働きます。その勤勉さは日本人移民の一部にも財をもたらします。黄色民族がアメリカで成功することを 当時のアメリカ人は決して良くは思わなかったはずです。
 また、長い鎖国時代にも関わらず 明治維新以降 欧米文化や産業システムをわずか1世代かからず吸収し 大国ロシアとの戦争に勝利し 列強に名を連ねた極東の小国日本は アメリカにとって脅威の念を抱かずには居れなかったことでしょう…。 欧米列強が警戒していたのは 共産主義ではなく 日本が東亜の中心的存在に成ることであったと言い切れるでしょう。

先住民族への迫害 開拓という大義…。
 もともと、コロンブスのアメリカ大陸発見以降 アメリカの歴史は先住民インディアンへ対する迫害から始まっています。西部開拓時代はまさに開拓という名の争いの時代であり 国土を広げていきます。メキシコ領だったテキサスを、戦争によって手に入れ 今度は海域を渡りスペインと戦争 ここで キューバ、フィリピン、プエルトリコ、グアムを手に入れ その後ハワイも武力で手に入れます。 これはアメリカだけでなく すべての列強にとって当たり前のことであり、当時、「侵略」などという言葉すらありませんでしたし、文明国は文明の低い地域に対して無政府または無主という扱いをし、これを武力で統治し、住民を奴隷化するのも、虐殺するのも自由だったのです。これが当時の欧米諸国がつくった国際法であり、欧米列強はアジアやアフリカ 南アメリカなどの有色民族の地域を植民地化していきました。そこへ有色民族である日本が大国ロシアに戦勝するわけですから アメリカが日本へ脅威を抱くのも無理も無く、全世界が驚きます。

当時、海外の日本に対する見方 
 満州事変後 中国の提訴により国際連盟から調査のためリットン調査団が派遣された時の海外の見解です。団長リットンは英国人です。

 リットンの意見書より
「我々、調査団は 日本側から『満州は日本の生命線である…。』と繰り返し言われてきた。そして日本は『日露戦争において2年間の戦いを繰り広げ 幾十万の命を犠牲にし 莫大な費用を費やして満州での権益を手に入れた…。』と云う。『日本独自の問題に外国が干渉することは非常に微妙な問題である』とも言われた。しかし 我々はこれらの事はすべて承知の上である。日本の外相に云いたいのは世界がもっと大きな犠牲を払って守り続けてきた秩序があるということだ。国際連盟によって作られたこの秩序こそが現代文明における生命線なのである。」 … 

 満州国建国後 翌年 日本は国際連盟を脱退…。

 それでも この頃、日本の芸術や文化などは欧米諸国から注目を受けます…
リンドバーク夫妻がワシントンから飛行機で80時間かけ、日本の霞が関に訪れたり、喜劇王 チャールズチャップリンが日本橋での てんぷらに舌鼓を打ち、ベイブルースを始めとするアメリカ大リーグが来日し、これをきっかけに日本でもプロ野球が始まったり、ヘレンケラーも来日しています。…日本はすべての著名な外国人を大歓迎しています。

アメリカニュース映画 世論誘導 
中国では盧溝橋事件が発端となり本格的な戦闘が始まり、戦火は上海、南京へと広がっていきます。世界はこの戦争に注目し、アメリカを中心にニュース映画を数多く配信します…。
 
 日本軍が南京陥落後 入城している時の アメリカニュース映画の現地リポートです。
「ちらほらと 飢えた中国人が拍手をしています。しかし、多くの通りは歓迎どころが静まりかえってます。大都市だった南京は最新の爆弾と勝ち誇った軍隊に破壊され、多くの命が奪われました。これらの怪我人には入る病院がありません…」

 南京大虐殺という事件は 戦後 東京裁判で日本人は初めて知ることになります…。当時のアメリカ現地リポーターに聞いてみたいものですね…。

 また、アメリカは日本が経済的脅威を招く国だという ニュース映画も数多く作り、反日感情を露わにしています…。 日本がアラスカで獲れたサケを「芸者サーモン」と銘打ち 不当に安い価格で販売しアメリカの漁師たちの困窮を描いた映画の一幕の中にこのようなナレーションがあります。
 
 「日本の良心に訴え説得出来るだろうか… 日本に道徳を訴えることは すでに中国で失敗している」 

 アメリカ側の 日本に対する不信感は強かったようです…。当時、アメリカの著名経済雑誌には

 「日本人は 列強諸国のプライドを外交で傷付けるだけでは飽き足らず、その懐にまで手を差し伸ばしてきた。色々な条件を考えれば、日本には工業国になれる力は無かった。何か仕掛けがあったのは明らかだ。日本は我々から産業革命を輸入し、すんなりと取り入れてしまった。それは国民に標準サイズの既製服を着せるかのようであった。その結果得られたのは欧米の資本家が舌を巻くような産業の効率性である。それはドイツにビールを売り、アメリカ在郷軍人会に星条旗を売ることであった。こうなると 現在 日本の国以外で取られている産業政策は、資本主義であれ、国家主義であれ、共産主義であれ、すべてが面倒で役立たずの物に思われてくる。日本の産業制度は他のどの国の産業制度とも似ていないのだ。」

国家が最優先すること… 
 さて、ここで、国家とは、友好国とは何なのでしょうか … 例え 同盟国であっても 友好国であっても 国益次第で いつでも解消する。それは歴史が証明しています。…国家の仕事とは国益を最優先することです。表向きは人道的見地や道徳観を訴えながら世論や民意を味方にし 時には戦争を起こすわけです。
 
日本はアメリカの顧客… 
 日中戦争以降 アメリカにとって日本への貿易は増え続け 日本はイギリス カナダ に続く 貿易上の顧客だったのです。それだけに アメリカ商工業界は対日本への禁輸などの経済圧迫は消極的なはずでした…。

 1938年11月3日 第二次近衛声明(東亜新秩序建設)に対して…

 翌4日 アメリカ国務長官 ゴーデル ハル は
「アメリカの対アジア姿勢は国際法諸原則と諸条約規定及び国家間の公正な取引の原則に従う」という声明で反論します…。
 対中国への門戸解放主義に違反すると非難しながら自国はブロック経済化し なおかつ 日本は貿易上の顧客という矛盾を感じます。 そして 蒋介石(重慶政府)への支援を公然と行い 反日世論形成へと …アメリカの駆け引きと喧嘩上手は一流 です。

 同年12月29日
当時の日本外相は東京の外国特派員に対して声明を発表します。「世界列国が排他的ブロックを確立する中で、[持たざる国]日本が自尊の道を確保してゆくにはぜひとも日満支(日本 満州 中国)の自給自足経済ブロックの建設が必要であり、そのためにはアメリカの主張する門戸開放主義も無条件には適用できない」と主張。

 日本は 持たざる国にも関わらず 国民たちの勤勉さで近代工業を目指したということが分かってきます。

「持てる国」 と 「持たざる国」 …ブロック経済

ホーリーストーム法…アメリカの貿易における門戸閉鎖の始まり
ブロック経済… 自国の商品を守るため輸入品に対して関税を掛ける
オタワ会議…世界恐慌対策として オタワで開かれた会議 結果イギリス帝国は経済ブロック

生き残る国 
 このような イギリス アメリカの ブロック経済化で 生き残れる国は「自給自足経済」が出来る アメリカ フランス オランダ ソ連 であり、これらの国には植民地や資源があり 世界的恐慌の中でもやっていけたわけです…。

日本の経済…
 日本は生糸を売り外貨を稼ぎ それで原材料を買い その材料で安い雑貨品を作り海外へ輸出し経済を維持していました。そして その乏しい利益で近代工業を興し、近代的な軍備を備えましす。貿易の相手のほとんどは イギリスやアメリカの植民地だったのですが、アメリカとイギリスのブロック経済化で、日本は大打撃を受け 失業者は増え 農作物は暴落 国内不安は増大します。日本には天然資源が無く 日本の労働者階級を長期に渡り貧乏にしたのは このブロック経済であり、昭和の悲劇であり、そして 当時 そのような国際情勢の詳細など一般庶民には分からなかったはずです。ロシア革命(社会主義)に影響された若者たちの一部に「日本の労働者階級が貧しいのは 日本の指導者階級が悪いからだ。」という思い込みを誘発してしまいます。

アメリカの要求
 日本を取り巻く国際情勢は列強のブロック経済であり、日本に対して輸入封鎖という事態に陥ります アメリカは自国の門戸を封鎖しているにも関わらず執拗に中国の門戸解放を要求します。日本が生存するには 満州大陸への進出しか無かったのかも知れません。
「俺たちはお前のとこから買わないが、俺たちのところのモノは買え」 そんな感じですね…。
日本は今のように最先端技術を持っていなかったでしょう。…その分、労働力を武器に一生懸格安商品を作っていたのでしょう…。

アメリカも失業者が多かった
排日移民法…あくまでもこれは日本における通称です アメリカにおける アジア人の移民に対して制限を設けた政策。

 移民を拒絶され、自由貿易もブロックされ だからこそ食べるために 満州国建設構想へ…列国とはいえ 日本は持たざる国だったのです…しかし、自由貿易なので ブロック経済することも、その逆も自由だったはずであり、相手国を責めるというのも筋違いなはずです…。 持たざる国から持てる国になることを当時の日本は試行錯誤したことでしょう。安い賃金で国民を労働させることが日本の経済だったと言われれば、それも仕方ないことかも知れません…。

 日本と状況が良くに似た列国
ドイツは 第一次大戦で負け ベルサィユ条約で 権益(植民地)をすべて奪われ 莫大な損害賠償金を課せられ、アメリカ イギリスのブロック経済で大打撃を受けます。そこで登場したのはヒットラーです。
 さらに 同じく資源の無い国 イタリアでは ムッソリーニ政権となり、ドイツやイタリアのような「持たざる国」は イギリス アメリカ のような「持てる国」のブロック経済に 対して 国家社会主義という形で国民から支持を受けるわけです…。

 ブロック経済化により危機感を募らせた ドイツと日本ですが、独自の経済構想を構築します。
ドイツは 直接必要な 石油 を 求め ルーマニア油田を 第一目標とします。
日本は 「大東亜共栄圏」構築を目指します。

 自給自足経済が可能な国 と それが出来ない国との争いが 第二次世界大戦であり
大東亜戦争であり、太平洋戦争 であるように思えてきます…

 愚かで 残虐の極み それが戦争だと教えられてきました…。そう思います。
しかし、誰が好き好んで戦争などするでしょうか…戦争とはもっとも非効率かつ公に認められた争いと殺戮です。それでも 戦争を選択せざる負えない各国の事情とは…
そして どんな国でも負の歴史は存在するということ…
 そして 今もなお 起こる紛争は各地で起きています。戦争は いつの世になっても無くならないような気がします。何故なのか? 年号を見てみると
 第一次世界大戦後 その反省から 各国とも戦争放棄を国際法で宣言しています…。
1928年 アメリカの国務長官 ケロッグと フランスの外相 ブリアン の 名前をとって 「ケロッグ ブリアン協定」 別名 「パリ不戦条約」を定めています…但し 自衛のための戦争を除くという内容です…。なおかつ 自衛か否かは 当事国の裁量に任せるという内容です。

でも、今度は自衛のための第二次世界大戦です…。その後も 政治的意図 宗教 思想 民族などの利害で 沢山の紛争が起こっています。自衛のためにならば仕方の無いことなのでしょうか

アメリカ ケロッグ国務長官の議会での発言です…。
「自衛戦争を禁止するものではない。自衛か否かは当事国が決める権利がある。自衛の既定は広範で経済的な脅威に対するものまで含まれる…。」 …

少し 大雑把ですが…大体の素地として流れを記しました これから年号を拾っていきます …



To be continued